安倍晋三首相が憲法9条を巡り、新たな「理由」を持ち出して改正の必要性を主張している。自衛官の募集事務に多くの自治体の協力が得られていないと強調し、9条に自衛隊を明記することで「この状況を変えよう」というものだ。

 しかし、多くの自治体は法令に従って、その範囲内で自衛官の募集に協力しているのが実態であり、首相の認識は事実誤認と言わざるを得ない。

 さらに、必要ならば法令の整備で自治体に求める協力の内容を定めることは可能で、それを改憲に結びつける首相の主張はあまりにも乱暴だ。国の根幹である憲法の改正論議には精緻な論理構成が求められる。不見識な議論は慎むべきだ。

 首相は先の自民党大会や国会答弁で、9条改正に絡めて自衛官の募集に言及。「6割以上の自治体が協力を拒否している」と述べた。

 自衛隊法は「都道府県知事、市町村長は自衛官募集事務の一部を行う」と定めており、自衛隊法施行令は募集に関し「防衛相は知事、市町村長に必要な報告、資料を求めることができる」としている。

 しかし、自治体側に資料提出に応じる義務は定められていない。

 防衛省によると、市区町村に18歳と22歳の住民の住所や氏名などの個人情報の提出を要請。2017年度は1741市区町村のうち36%が名簿提出に応じた。そのほかの53%の自治体も住民基本台帳の閲覧などを認めている。岩屋毅防衛相は一切の協力を拒否しているのは5自治体と説明した。名簿提出が義務ではないことを考えれば、9割以上の自治体が協力していると解釈すべきだろう。

 名簿自体を提出していない自治体の多くも、憲法との関係ではなく、個人情報保護の観点から対応している。首相は「膨大な情報を隊員が書き写している」と閲覧作業の煩雑さを強調。自民党は所属議員に対し、地元自治体に名簿提出を促すよう求める通達を出した。

 しかし個人情報の厳格な管理が求められる中で、対象が自衛隊であれ、個人情報が渡されることをどう考えるのか。慎重な検討が必要だ。

 たとえ個人情報上の問題点に目をつぶり、自治体に名簿提出を義務付けるとしても、関係法令の整備で対応できる。9条とは全く関係のない話だ。与党・公明党の北側一雄憲法調査会長が「自衛官募集と9条改正は直ちにつながらない」と指摘したのも当然だろう。

 9条を巡る主要な論点は「戦争放棄」「戦力の不保持」を定めた条文と、自衛隊の存在との整合性の問題だ。集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法を違憲とする主張もあり、これも議論になっている。

 首相は9条改正を訴えるとき、「ある自衛官が息子から『お父さんは違憲なの』と尋ねられた」などのエピソードを持ち出す。だが、求められるのはこうした情緒論や事実誤認に基づく主張ではなく、論理的な議論だ。

 首相が自治体の対応に関して、改憲によって「空気が大きく変わっていく」と述べた点も見過ごせない。改憲で自治体が拒否できない「空気」をつくりだそうという発想だろうか。社会を取り巻く空気ではなく、法に基づいて政治、行政を行うのが法治国家であり、首相が日本の基本的価値として度々自負する「法の支配」の鉄則ではないか。【共同】

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