発刊されたばかりの佐賀大学教育学部同窓会創立130年記念誌『有朋会 創造と継承』に、元教師本村豊さん(故人)の詩「ああ天建寺渡し」があった◆筑後川河口から上流へ約20キロ。三養基郡みやき町と久留米市を結ぶ地点に木造の橋が架けられたのは1954(昭和29)年のこと。なぜ、ここに橋が架けられたのか。本村さんの詩には「架橋の由来を知る人は天建寺渡しの遭難を忘れない」とある◆「天建寺渡しの遭難」。まだ橋のなかった1950(昭和25)年2月13日。登校中の学童41人を乗せた渡し船が転覆。全員が冷たい筑後川に投げ出され、懸命の救助も及ばず児童6人が帰らぬ人に。この事故から4年後、悲しい遭難を教訓に橋が架けられた◆橋は1999年3月、木造から鉄骨の新天建寺橋として今にある。地元の三根東小では毎年2月13日を「命を考える日」として語り継いでいる。一昨日の集会には遭難で弟を亡くした佐賀市の古賀絹子さん(82)の姿もあった。古賀さんは事故現場近くに自費で供養碑を建立し、ずっと心を寄せている◆本村さんの詩は命の尊さと、冷たい川に飛び込み、失神するまで救助を続けた若き教師2人の勇気をたたえているが、集会で児童全員が歌った6人をしのぶ「花供養の歌」も心にしみた。69年続く供養は来年も、また再来年も…。(賢)

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