「サガン鳥栖FC」と手書きしたホワイトボードの前で運営方針について話す坂田氏(左)と中村氏=平成9年2月4日、佐賀市の県スポーツ会館

 財政難からチーム運営会社が解散したプロサッカー、鳥栖フューチャーズ(JFL)に代わる新チーム結成に動いていた県サッカー協会などが、新チーム名を「サガン鳥栖FC」とすることを明らかにした。

 鳥栖フューチャーズは1996(平成8)年のメインスポンサー撤退によって財政危機が一気に表面化し、翌年1月に解散が決定。年末から年始にかけ、サポーターが取り組んだ署名活動では約5万人の署名が集まり、チームの存続を訴えた。

 新組織はホームタウン誘致鳥栖委員会など地元6団体からなる任意団体として結成され、代表には県サッカー協会の中村安昭会長(当時)が就任。新チームでの再出発を探っていた同協会の坂田道孝理事長(当時)はJリーグらに再生案を力説し、超法規的措置として発足を認められた。

 当時Jリーグ初代チェアマンを務めた川淵三郎さんは県や鳥栖市に出向いて支援の要請を行うなど、鳥栖の再生に向けて全面的にサポートした。チームの存続に尽力した坂田氏は2000(同12)年1月7日に死去。命日にちなみ、「17」はサガン鳥栖のサポーターナンバーとなっている。

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