小田志口に立つ追分石。「こたしやま道」「たけおありた道」と刻まれている

 嬉野の町から国道34号を北に向かい、長崎自動車道のガードをくぐる手前1キロのところに「三坂(さんさか)」というバス停留所があります。ここは長崎から小倉に通じる長崎街道(長崎海道とも書く)と呼ばれる通り沿いの地域で、かつて長崎街道は嬉野宿(しゅく)から小田志(こたじ)口のバス停留所あたりまで34号線の西を通っていました。現在の嬉野市と武雄市の境界に沿う道で、小田志口には今も「こたしやま道」「たけおありた道」と刻まれた追分石が残っています。

 18世紀の初めごろまで長崎街道は、現在の嬉野高校の北側を通って塩田を抜け、そこから北に上がって武雄市橘町を通りJR北方駅の西の追分に出て小田宿(杵島郡江北町)に向かう塩田ルート(塩田道)でしたが、度重なる六角川や塩田川の氾濫などにより、のちには武雄(柄崎と呼ばれた)を通るルートへと変わりました。

 嬉野から東へ向かう旅人が三坂からさらに険しい東川登町永野内田の渕ノ尾峠を越えると武雄温泉。しかし、この道を旅したのは人だけではありませんでした。享保13(1728)年には、8代将軍吉宗に献上される象が、文政4(1821)年にはオスとメスのラクダが通りました。2頭のラクダはまるで夫婦が寄り添うように歩いたといわれています。そのほかダチョウなども。また、武雄の記録「長崎方控」には、武雄領主が「蘭犬(西洋の犬)」を取り入れたことも見られ、さまざまな動物も旅したようです。

(武雄市図書館・歴史資料館 川副 義敦)

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