発掘当時の甕棺墓

復元された甕棺墓  

 北内郭のすぐ北側には甕棺墓(かめかんぼ)が南北に列をなして並んでいます。約200基の甕棺墓が眠っていて、その先には約2100年前の歴代の王の墓と考えられている「北墳丘墓」があります。

 吉野ケ里遺跡は吉野ケ里丘陵と呼ばれる南北約4.5キロ、東西約500メートルの小高い丘の上にあります。周辺より十数メートル高いその丘の南端に環壕(かんごう)集落はあり、紀元前5世紀頃から弥生時代の集落が始まって、3世紀に最盛期を迎えます。現在、復元された環壕集落はその3世紀です。

 ただ、その集落が成長する中で「甕棺墓」と呼ばれる巨大な土器に埋葬するお墓を中心とした墓地としても吉野ケ里丘陵は使われました。特に紀元前1~2世紀には丘陵南部の尾根部分に列状の墓地が続き、長い場所では約600メートルもあります。現在、吉野ケ里遺跡から甕棺は約3000基発掘され、その中から人骨も約400体発見されています。この頃の環壕集落は最盛期の約40ヘクタールの広さの半分程の規模でした。つまりそれは、復元された集落と甕棺墓は年代が違うということです。現在、3世紀に対応する墓地は見つかっていません。この日本最大級の集落をつくり、住んだ人達はいったいどこに埋葬されたのでしょう。それは今でも吉野ケ里の謎です。(福田幸夫、吉野ケ里ガイド)

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