野中団さんの遺影に向かい、「ヨイサ、ヨイサ」と声を出し、追善する江川町の曳き子たち=昨年11月4日、唐津市朝日町(家族提供)

野中団さん

野中団さんの写真展。好きだった唐津くんちや市内の祭りの写真が並ぶ=唐津市大名小路の唐津信用金庫本店

 唐津くんちの曳(ひ)き子たちも認める曳山(やま)好きで、昨年1月に18歳で亡くなった佐賀県唐津市佐志の野中団さん=当時唐津商高定時制3年=の写真展が、唐津市大名小路の唐津信用金庫本店で開かれている。先天性の病気でうまく発音できないハンディを抱えていた団さん。撮りためていた曳山の写真から、曳き子に親しまれていた人柄が伝わる。

 団さんはあごが小さく、呼吸がしづらい状況で生まれ、幼児期に入退院を繰り返していた。「その後は病気もなく、言語訓練に通ったり、お風呂で短い舌を動かす練習を続けたりと人の3倍は努力した。本人の明るさにも助けられた」と父の裕之さん(46)は在りし日を振り返る。ままならない生活をバネにするように、団さんは成長とともに曳山に夢中になっていく。

 くんちの3日間だけではない。本番1カ月前から各町の囃子(はやし)練習を見守り、曳山の塗り替えがある年は修理庫にほぼ毎日通った。あまりの熱心さに「うちの曳山を曳かないか」と勧誘されることも少なくなかったが、「14台ぜんぶを見たいから」とかたくなに断った。曳山の行事があると、そこに団さんの姿があった。

 ところが一昨年の12月、食べ物を誤ってのどに詰まらせ、帰らぬ人となった。通夜や葬儀には曳山関係者が大勢参列した。昨年の初盆には江川町の曳き子たちが自宅を訪れ、囃子で供養し、秋には新町の幹部が塗り替えを報告。くんちでは巡行路に遺影を抱えて両親が立ち、それに気付いた6町が曳山を止め、「エンヤ」「ヨイサ」とかけ声で追善した。

 「皆さんにご迷惑をおかけているだろうと思っていたけど、こんなにも…」と母親の利恵子さん(51)。困難を背負って生まれ、名前の団には「周りに人が集まり、支えてもらえるように」との願いを込めていた。亡くなった後、愛息が築いた人のつながりの広さを知った。地元の小中学校の友人が、宵曳山前に肉襦袢(じゅばん)姿で「団くん、くんち始まるばい。一緒に行くばい」と仏壇に手を合わせてくれた心遣いもうれしかった。

 写真展は裕之さんが勤める唐津信用金庫の先輩が企画した。残された8千枚以上のデータから63枚を選び、命日の今月9日から開催。町の“専属カメラマン”が撮るような曳山前の曳き子の集合写真、記録重視の構図もある。くんち以外にも市内の祭りを撮影し、中には一昨年の呼子大綱引の写真コンテストで最優秀賞に輝いた1枚もある。

 写真展は31日までで、平日の午前9時から午後3時まで。問い合わせは唐津信用金庫、電話0955(73)3105。

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