大きな体と力強い取り口で、ときには大横綱白鵬さえも圧倒した横綱稀勢の里が昨年の秋場所千秋楽から8連敗(不戦敗を除く)して引退に追い込まれた。

 大胸筋を断裂する大けがを負いながら治療に専念せず、強行出場と途中休場を繰り返したのがあだとなった。高い人気があり、ファンの期待に応えようと無理をしてしまったのが惜しまれる。

 大相撲のけがに対する前近代的な考え方が横綱を強行出場に追い立てていた部分はなかったか。大相撲がけがについての姿勢を改めるときが来たのではないか。

 けがは土俵で治すもの、番付上位陣は多少のけがでも出場し責任を果たさなければならない、との考えがいまだに幅を利かせる風土はやはりおかしい。

 そもそも横綱を例外に、負傷して休場を続ければ番付がどんどん下がり、関取が大きな収入ダウンに直面する現行の制度は問題が多い。

 大相撲は長い歴史を誇る興行であり、伝統文化でもある。他のスポーツとの比較は必ずしも適当ではないが、負傷に対する考え方があまりにも旧態依然としている。

 サッカーでも柔道でも体操でも、選手がけがをすれば、精密検査をしてけがの内容を正確に把握し、完治するまで科学的で合理的な治療を続ける。けれど大相撲はそうなっていない。

 横綱の特権を生かして白鵬と鶴竜は最近、負傷後は治療優先で休場し、体調が万全になってから復帰して優勝することが多くなった。しかし、なぜ横綱だけが休場を容認されているのだろう。

 日本相撲協会の最大の財産は健康な力士だ。大関も関脇も小結も、平幕力士もみんな大相撲の宝物ではないか。

 けがは自身の弱点に直結すると考え、力士が内容を詳しく説明したがらないのは理解できる。しかし、相撲協会は自分たちの財産について正確な情報を把握し、力士の保護に積極的であるべきだ。

 その上で、番付降格に一定の歯止めをかける新しい公傷制度の検討に乗り出すべきだ。高い透明性と客観性を備えた診断システムを構築することから始めてはどうか。もちろん「ずる休み」は許さない。

 大相撲では社会の動きに同調し、暴力に対しては敏感になってきた。親方による技術的な指導の場での暴力だけでなく、関取の付け人に対する暴力も絶対にあってはならないと先ごろ研修会で確認した。

 大相撲の最後の因習が、けがを負った力士に対する保護責任の放棄ではないか。

 残念ながら稀勢の里は引退した。しかし、大相撲は今、元気の良い若手が数多くいる。どの場所も人気は高く、興行として成功している。財政的な心配がない今だからこそ、改革に乗り出せるはずだ。

 外部の有識者による提案を頼りにすることが多い八角理事長(元横綱北勝海)だが、ここは親方衆に呼びかけ、必要なら関取衆の意見にも耳を傾けながら、新公傷制度の検討に乗り出し、その先頭に立ってほしい。

 すべての力士が納得する公平で公正な公傷制度というものは必ずあるはずだ。番付に関係なく安心して治療に専念できる環境が整えば、土俵は元気者であふれ、数多くの白熱した好取組に彩られるに違いない。(共同通信・竹内浩)

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