俵はドライドックの壁の一部にあった。壁を維持しつつ、地下からの湧き水を逃がす工夫だった可能性がある

三重津海軍所跡から見つかった俵。石炭のくずと、砕いた蠣殻が詰め込まれていた=佐賀市川副町(市教育委員会提供)

「ドライドック」の原寸大復元イメージ(三重津海軍所跡保存整備指導委員会の配付資料から)

 佐賀市のユネスコ世界文化遺産「三重津海軍所跡」の発掘調査で、ドライドック(乾船渠=かんせんきょ)の壁の一部に蠣(かき)殻や石炭を詰めた俵の土のうが使われていることが分かった。市教育委員会によると、壁をしっかりと維持しつつ、地下からの湧き水を逃がす工夫だった可能性がある。木材や粘土など日本の伝統的な土木技術で組み立てられた国内最古のドライドックから、俵で補強する構造が見つかったのは初めて。

 三重津海軍所は、佐賀藩が1858(安政5)年に設けた「御船手稽古所(おふなてけいこしょ)」が前身で、航海や測量などの教育をはじめ、洋式船に乗り込んでの砲術訓練も行っていた。有明海の干満差を生かして船を引き入れて補修するドライドック「御修覆場(おんしゅうふくば)」を備えている。

 見つかった俵の土のうは四つで、長さは60~70センチ、幅は40センチほど。一部が破れて中身が露出しており、石炭のくずと、砕いた蠣殻が詰め込まれていた。現在、確認できているのは上段から2段目までだが、さらに下にも複数の俵が埋まっていると推測される。

 別の箇所の壁の土砂留めには、和船の底板などを再利用した杉板を用いていた。俵の土のうが見つかった場所は、湧き水が流れ込んでおり、土砂の流出を防ぐ一方で、湧き水を通すために、俵と使い分けた可能性があるという。

 市教委で産業遺跡調査を担当している中野充さんは「分解されやすい稲わらがそのまま残ったのは、新鮮な湧き水が常に供給される環境だったからだろう」とみる。ドライドックは類例が限られ、構造には多くの謎が残されているが、「木組みと土だけで造られたと思われてきた構造がまた一つ明らかになった。土木の専門家からも意見を聞きたい」と話す。近く現地説明会を開く予定。

 海軍所跡は2015年7月、8県の文化施設で構成する「明治日本の産業革命遺産」の一つとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。

原寸大復元へ

 佐賀市の三重津海軍所跡のドライドックの一部を原寸大で復元する計画を市が進めている。地中に埋設している遺跡のスケールを体感してもらう狙いで、隣接する佐野常民記念館に展示する。3月までに基本設計をまとめ、2019年度から実施設計に入り、21年度中の完成を目指す。

 三重津海軍所跡は保存のために地中に埋め戻すことになっており、発掘調査が終われば実物を見ることはできない。昨年12月の保存整備指導委員会(委員長・有馬學福岡市博物館長、8人)で四つの復元案を検討し、木組みが四段になっている内部構造を忠実に再現する案に絞り込んだ。

 これによると、巨大なドライドック(全長60メートル、幅25メートル)の一部を切り取って、幅8メートル、奥行き8メートル、高さ3・6メートルの原寸大模型を造る。土に覆われたドックの壁と、内部の構造が分かるように木組みを露出させた状態を再現する。

 模型に加えて大型スクリーンで、ドックで修復を受けた洋式船のCG映像を流す工夫も検討している。

 展示場所は佐野常民記念館の1階で、天井が吹き抜けになっている約270平方メートルのスペース。三重津海軍所を含む「明治日本の産業革命遺産」の紹介をはじめ、出土品も展示する。

 遺跡の地表に、佐賀藩がオランダから購入した洋式船「電流丸」の輪郭を浮き彫りにする案も出ている。

 市三重津世界遺産課は「原寸大模型と船の輪郭展示を通して、その大きさや構造、当時の運用の仕方がよく分かるようにしたい」と話している。

このエントリーをはてなブックマークに追加