伊丹安廣氏の遺品のペナントなどを収めた額を重田清一主将(右)に渡すOB会の永淵洋三名誉会長(左)と吉岡幸一郎会長=平成23年1月6日、佐賀市の佐賀西高

 旧制佐賀中学(現佐賀西高)出身で、野球殿堂入りした故・伊丹安廣氏(1904~77年)の遺品のペナントが、母校に寄贈された。伊丹氏が早稲田大時代の27(昭和2)年、米国遠征した際に入手したもので、佐賀西高野球部OB会が伊丹氏の偉業を紹介する文や写真とともに額装して贈った。

 ペナントは「WASEDA」の文字や交流戦を行った米国の地名が記されたものなど4点。現在も校内の廊下に飾られ、夢や目標を追う生徒を励ましている。

 伊丹氏は佐賀中、早大で選手として活躍。卒業後は早大の監督や東京六大学野球審判員などを務めた。戦後は日本学生野球協会の結成に関わったほか、米軍に接収された神宮球場の返還に尽力するなど、アマチュア野球の発展に寄与。没後の78(同53)年に殿堂入りした。佐賀西高グラウンドには殿堂入りを祝い「一球無二」の記念碑も建てられた。

 同校野球部のユニホームの胸にある文字「EIJO」は、伊丹氏が佐賀中野球部主将の時に発案した。日本高野連は99(平成11)年の全国通達で、校名と校章以外の表記を禁じたが、同校は唯一、“伝統”を理由に例外として認められている。

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