昭和天皇が亡くなられて1カ月半あまり。日本中に自粛ムードが漂うなか、国内最大級の環壕集落出現は、久々の明るい話題として迎えられた。それだけに取材はし烈を極める。出土資料を保管するプレハブ小屋で毎日午後4時、その日の調査成果が報告された会見には、新聞、放送、雑誌記者が約50人、10台近いテレビカメラがひしめき合った。

 各社は独自の動きもみせ、望遠レンズで発掘現場を監視、他社の動きや調査状況を得ようと無線機まで持ち込むなど、神経をすり減らすような取材合戦が約2カ月にわたり続いた。

 ガセネタも飛び交う。押し寄せる古代史ファンを案内するバスガイドが「蛇にかまれた」「墳丘墓のかめ棺に呪いの文字があり、調査員が夢でうなされている」。果ては遺跡の謎解きに独自の推理を展開する新聞社も出てくる。

 佐賀新聞でも遺跡東側の丘陵に建つ籾(もみ)神社周辺に王墓が存在すると推測、行政などに調査を求めたが、氏子らの反対もあり発掘はされずじまい。当時の担当者は「あそこは怪しい」と、いまだにあきらめ切れないでいる。(1982年入社)

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