シンポジウムで語る長野暹・佐賀大学名誉教授=2009年、佐賀市

 幕末期の佐賀が果たした日本近代化の役割を、丹念にひもといた。学者として研究するだけでなく、フットワーク軽く市民運動にも参加し多くの人に慕われた。

 2009年秋、珍しく酒に酔い上機嫌な姿を、NPOまちづくり研究所の三原宏樹理事長は忘れられない。東京で開かれた専門委員会で、三重津海軍所跡(佐賀市)が世界遺産の構成資産候補に加わることが決まった日のことだ。

 当初、三重津海軍所跡は世界遺産候補に挙げられていなかった。行政の動きさえも鈍い中、「近代化の要は佐賀。佐賀が外されたままでは、佐賀の先人たちの努力が報われない」。佐賀の科学技術史を読み解く作業を続けた。市民団体に請われた講座の講師も精力的に引き受けた。15年7月、三重津海軍所跡を含む全国23カ所にまたがる世界遺産「明治日本の産業革命遺産」登録につながった。

 出土物をシンクロトロン光や蛍光X線で分析した研究など科学の手法も組み入れ、複眼的に歴史を見た。「理系と文系の融合が特徴」と、鍋島報效会評議員の大園隆二郎さんは振り返る。60代後半は理工学部の大学院に入学、学び直した。

 愛媛県出身。10代で終戦を迎え、戦争の悲惨さを身をもって体験した。九州大で助手を経て、佐賀大では経済学部教授、同学部長も務め、アジア諸国と共同研究を進める基盤を作った。最終講義では「歴史の真実を見極める目を持って」と語り、関東軍731部隊の生体実験を糾弾した森村誠一さんの「悪魔の飽食」の詩をもとにした合唱組曲を、佐賀で歌う実行委員長も務めた。

 亡くなった約20日後に開かれた明治維新150年を記念したシンポジウムで総括者を務める予定だった。車いすでの移動がやっと、という体調だったが、研究、執筆も続けていた。来年2月3日午後2時から、有志が佐賀市の県立美術館ホールで偲(しの)ぶ会を開き、長年の功績を振り返る予定だ。

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