アトランタ五輪後の凱旋パレードでは、沿道を埋めた約8000人の市民が銀メダルの快挙を祝福した=1996年8月8日、JR唐津駅前

 「佐賀の宝を失った」-。アトランタ五輪セーリング(ヨット)女子470級の銀メダリスト、重由美子さんが9日亡くなった。唐津の海を愛してやまなかった重さんの訃報に教え子や関係者には大きな悲しみが広がった。 

 10月に広島で開かれた誰でも乗れるユニバーサルデザインの小型ヨットの世界大会に、重さんは小学生とのペアで出場する予定だった。だが病状が思わしくなく、直前に唐津西高3年の中山由菜さん(17)が代理で出場。「チーム重」として世界一の結果で応えた。

 「出場を楽しみにしていた重さんに優勝報告もできなかった。無理してでも、病院に行けばよかった」と中山さん。県ヨットハーバーでは、体調が悪くても海に出て指導し、強くなるためと海外に連れていってくれた。「厳しいけどやさしい。お母さんのような存在でした」と振り返る。

 重さんの教え子で、東京五輪のテスト大会を兼ねたワールドカップ江の島大会470級で日本男子初の優勝を果たした岡田奎樹選手(23)=唐津西高-早稲田大卒、トヨタ自動車東日本=は「私の技術と人間性を引き上げてくれた恩人。東京で金メダルを取って恩返しする」と前を向いた。

 セーリングに負けじと新体操を佐賀県のお家芸に育てた佐賀女子高新体操部元監督の光岡三佐子さん(79)は「重さんは一番になることの難しさを語り合った仲。とても頑張り屋さんで『大変だけどお互い好きなこと。精いっぱいやりましょう』と励まし合った」と懐かしみ、冥福を祈った。

 

貪欲に向き合う人

松山和興さん県ヨット連盟前理事長

 重由美子さんが出場した五輪3大会でコーチを務め、ともに世界の頂点を目指した佐賀県ヨット連盟前理事長の松山和興さん(76)に思い出を聞いた。

 わたしが唐津に来て2年後に彼女は兄弟と一緒に玄海セーリングクラブにやってきた。たしか白い短パンに黄色い帽子をかぶっていたと思う。とても元気のいい子どもだった。

 他の選手が途中でやめてしまうようなきつい練習も途中でやめず、必ず最後まで一生懸命やっていた。時間を忘れて真っ暗になるまで練習したこともある。競技と向き合う姿勢は時にしつこいと思うほど貪欲で、ずっと変わらなかった。

 銀メダルを獲得した1996年のアトランタ五輪ではレース中に嵐に遭い、艇が沖に流されて死にそうな思いをした。やっとの思いで岸にたどり着くと、彼女は私を心配して駆け寄ってきてくれた。あのときの表情は今も忘れられない。

 彼女が亡くなったことは、佐賀のヨット界にとって大きな損失だ。2023年の佐賀国体で優勝したと、彼女にいい報告ができるように、みんなで力を合わせてやっていきたい。

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