老中時代の小笠原長行(国立国会図書館ウェブサイトから)

 今も国内の重要な交通機関の一翼を担っている鉄道ですが、この鉄道建設を日本で初めて許可したのが小笠原長行でした。

 慶応3(1867)年12月23日付で、江戸―横浜間のアメリカによる鉄道建設に許可を出しました。慶応3年といえば既に10月に大政奉還がなされ、12月9日には新政府より王政復古の大号令が発せられていましたが、こうした旧幕府に実権がない状況下で、長行の名前および花押でアメリカ公使館員のポートマンに対し、14条からなる「鉄道免許付規則書」(外務省所蔵)が与えられました。

 条文を見ると、そこには新しい日本に対する長行の希望や期待が見え隠れします。まず長行は「公儀」ではなく「日本政府」という名称を使用し、第1条で着工から3年以内の鉄道完成を指示し、第2条で免許状を授与してから5年以内に鉄道建設に着手しない際は免許が破棄されることも記しています。

 さらに興味深いのは12条で、毎年年末には経営に関する決算書を「日本政府」に提出すること、さらに14条では「日本人」も鉄道経営に参画でき、利益も分配されるべきことや、「日本人」は自由にこの鉄道に乗車できることが規定されています。

 なぜ長行はこうした鉄道建設許可を許したのか。それは単にアメリカとの関係性だけにとどまらず、次の「日本政府」や「日本人」にとって鉄道は交通や運搬も含め、必要不可欠な有益なものであり、まず国家として建設せねばならないものとする考えがあったことが条文からも推定されます。

 長行も新しい日本の形というものを考えていた一人でした。なおこのアメリカによる鉄道建設建設は明治3(1870)年に外務省で行われたアメリカとの会談で、アメリカの手を借りず日本が直接建設することで破棄されてしまいました。

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