優勝までマジック1となり、DeNA戦を見守る広島・緒方孝市監督の父義雄さん=2018年9月24日、鳥栖市の実家

鳥栖市の実家には盗塁王、ゴールデングラブ賞のトロィーなどが壁を埋め尽くすように飾られている

 3年連続9度目のプロ野球セ・リーグ優勝を果たした広島東洋カープ。10月27日から始まる福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズを前に、緒方孝市監督(49)=佐賀県鳥栖市出身=の素顔を、父義雄さん(83)に聞いた。

 孝市が小3か、4年のころ、自転車を欲しがったことがありました。家には商売用の大きな自転車しかありませんでした。家内は「ちょっと待ちなさい」と言ったんですが、新聞配達を始めましてね。自転車を買ってあげてからも、小学校を卒業するまで続けました。「決めたらやり抜く」。そういうところがありましたね。

■高2で体大きく

 食が細くて体も小さかったんですが、恩師で鳥栖高野球部監督の平野國隆さん(故人)と出会った頃から、よく食べるようになりました。高2になって急に体が大きくなりました。

 私自身は高1の時、魚市場・鮮魚店をやっていた父が倒れました。やむなく中退し、家業を継ぎました。自分は学歴がなかったから、子どもには大学を出てほしいとの強い望みがありました。平野監督にも入学当初から「まず大学進学を」とお願いしていました。

 孝市は長男です。家内と親孝行な子になってほしいと話し合って、家内の名前孝子の「孝」と、家業の魚市場の「市」を取って名付けました。

 高3の夏の大会が終わったある日、平野監督と広島のスカウトの方が急に訪ねて来られました。「ドラフトにかけたい」という話で、私は「冗談はやめて」と断ったんです。

■自分で決めなさい

 孝市もプロ入りか進学かで悩んでいました。あるとき、家内に相談したようです。家内は「自分で決めなさい。あなたの人生だから」と。それでプロ入りを決めたんです。

 1995年6月、家内が51歳で亡くなりましたが、これが転機でした。プロ入り9年目のことです。がんが肺まで転移して、とても苦しそうなんですが、思うのは息子のことばかり。「厳しいプロの世界にいるのだから」と病状の悪化を知らせることさえ許しませんでした。

■初の盗塁王獲得

 ところが、亡くなる前日に突然、孝市が見舞いに帰って来たんです。重篤さに驚く孝市が「お母さん」と手を差し伸べたら、聞こえたんでしょうねえ、家内も手を伸ばしたんです。本当に驚いて、母と子の絆の強さを思いました。ここからですね、孝市が目覚ましい活躍を見せ始めたのは。きっと母親の手を取りながら、活躍を誓ったのだと思います。この年、初の盗塁王を獲得しました。

 毎年、お正月に帰ってきてくれます。今年は広島へ戻る、その背中に「今年こそ、日本一になってくれんと私も死なれんよ」と冗談ぽく声をかけたんです。孝市は笑っていましたよ。

 口数が少なく胸に情熱を秘める一方で、周囲への気遣いを忘れないところは家内にそっくりです。今年こそ日本一になってくれると期待しています。全国のカープファンと心を一つにして応援します。

【略歴】おがた・こういち 1968年12月25日、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖高からドラフト3位で87年広島入団。95年から3年連続盗塁王、外野手として5年連続ゴールデングラブ賞を受賞。プロ23年で通算打率2割8分2厘、241本塁打、268盗塁。09年限りで現役を引退後は広島でコーチ、15年からは監督を務め、16年から球団史上初のセ・リーグ3連覇を達成した。

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