伝統文化を唐津のまちづくりにつなげる地域創造キャンペーン「Re:からつプロジェクト」の一環で、トークイベントが13日、唐津市西城内の唐津市民会館であった。佐賀県の明治維新150年事業と連携し、着物に代表される日本文化から明治の時代に活躍した唐津の実業家まで、2部にわたり幅広く語った。

 【1部・着物文化】

 ■中尾 東京五輪に向け世界各国の着物をつくるKIMONOプロジェクト。始めるにあたり、206カ国をデザインできる自信はあったのか。

 ■高倉 自信はあった。着物は時代によって変化しておりデザインは多様性に富んでいる。日本にある文様、柄はペルシャやエジプトなどから取り入れ、ジャパナイズしたものも多い。そうした柄を再び各国へ帰すという側面もある。

 ■中尾 ここ数年、唐津商工会議所は和装を提唱している。

 ■宮島 唐津は伝統文化が発達した町。和文化が薫る町にしようと呼び掛け、着物を着る機会をつくっている。賀詞交換会では女性も男性も着る人が少しずつ増えてきた。

 ■中尾 気軽に楽しむためにはどうしたらいいか。

 ■池坊 確かに若いときは美容室で髪をセットしたり、着付けてもらったりと面倒に思うこともあった。伝統文化は生活に密着して続いていくが、生活様式とずれてくると敷居が高くなり、非日常になっていく。池坊の華道も仏様に供える花から始まったが、時代とともに変化しながら、今日まで続いてきている。

 【2部・明治維新と唐津の実業家】

 ■中尾 佐賀県内は唐津藩と鍋島藩があり、天領も対馬藩の飛び地もある。幕末維新博覧会を行うにあたってどう配慮したのか。

 ■山口 薩長土肥の中で、「薩長土」は山口、鹿児島、高知とそれぞれ一つの県で、佐賀県だけが三つの藩からなる。「肥前」があまりクローズアップされてこなかったのは、全く違う立場が混在していたのも要因。県としても幕末に光を当てようとはしなかった。ただ、それぞれの地域がどんな思いで明治を生きていたのかを知るきっかけにできると思う。佐賀県が一丸となって未来に向かうためにも、歴史をひもとくことは大事だ。

 ■宮島 唐津を治めた小笠原家は徳川家の忠実な家来。幕府老中になった長行(ながみち)は最後まで明治新政府と戦ったため、一時、藩は討伐の対象になった。最終的に両者は和睦するが、それは佐賀藩の仲介のおかげ。維新を推進した佐賀藩とそうでなかった唐津藩は比較されるが、そういう経緯も理解しないといけない。

 ■中尾 大島小太郎という人物がいる。耐恒寮で学び、20代で地元に銀行を起こした。

 ■宮島 日本商工会議所を組織した渋沢栄一という人物がいるが、一つの事業を起こすにとどまらず、人を育て、産業を発展させた。大島小太郎も似たところがある。発電所を造り、鉄工所を造った。JR唐津線・筑肥線の敷設にも大きな役割を果たした。この地域の経済活動全体を資本家としてサポートした。

 ■中尾 今の佐賀県は「生涯で行かない県」に名前が挙がることもある。「これから人が来る県」と肯定的に捉えたい。

 ■山口 東京が日本の中心になったのは最近のこと。歴史を振り返ると、佐賀県には吉野ケ里遺跡があり、豊臣秀吉が名護屋城を築き、たくさんの人が暮らした過去がある。今は中国や韓国の人が行き来するようになり、佐賀県は外国人宿泊客数もすごく伸びている。そういうことを踏まえると、そろそろ佐賀県の時代がくる。

 ■宮島 太平洋貿易が盛んだったことや日本海側は雪が深くインフラ整備に時間がかかったこともあり、東京を中心に太平洋側が栄えた。これからは、地震が少なく、経済成長が進む東アジアに近い日本海側が有望な土地だ。

 

■パネリスト

高倉慶応さん(KIMONOプロジェクト代表)

池坊美佳さん(華道家・池坊青年部代表)

宮島清一さん(唐津商工会議所会頭)

山口祥義佐賀県知事

■コーディネーター

中尾清一郎(佐賀新聞社社長)

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