今年は明治維新150年。新聞を通じて地域の歴史を学ぶ「さが維新塾」。本紙記者による今回の出前授業は鏡中(唐津市)です。


【きょうの教材】洋式海軍の始動

安政5(1858)年以降

早津江川沿いで発掘された三重津海軍所のドライドック跡。深さは約4㍍あり、木材を枠状に組み合わせた特殊な工法で造られていた=2011年12月、佐賀市川副町(佐賀市教育委員会提供)

 佐賀市川副町を流れる早津江川の河川敷には幕末、佐賀藩洋式海軍の訓練所があった。2015(平成27)年に世界文化遺産に登録された「三重津海軍所跡」。保存のために埋め戻されているが、蒸気船を修理するためのドライドック(乾船渠)の遺構がある。
 海軍所の前身に当たる「御船手稽古所」が三重津に設置されたのは安政5(1858)年。洋式海軍の水夫を養成する訓練所として選定された。佐賀藩にとっては、オランダから蒸気船「電流丸」を購入したこともあり、船を操る人材の育成は急務だった。船を実際に動かす水夫は、藩が自前で育てるしかない。多いときは数百人が訓練に臨んだとみられる。

三重津海軍所のドライドック復元模型。潮の干満を利用して水を排出し、船底などを修理した=佐賀市の佐野常民記念館

 さらに、万延元(1860)年には、洋式船3隻の運用を始めたので、その管理も手掛けることに。船の修理は費用が掛かるため、外注せず自力で取り組むようにした。ドライドックは、水を抜いて船底やスクリューを修理する施設で、三重津に造られたのは長さ約60㍍、幅約25㍍、深さ約4㍍。全長約45㍍の電流丸も収まる規模だった。ドック内の水は、有明海の干満差を利用して排出する仕組みだった。ドックは通常、海岸沿いの硬い岩盤をくり抜き、石積みで造られる。しかし、干拓地の三重津は地盤が軟弱で重い石積みを支えきれないため、河川敷を掘り下げた両側の壁に木材の枠組みを階段状に組み上げるという特殊な工法で建設した。枠の内部に水はけのよい砂と、水を通さない粘土を交互に積み重ね、船を支えるための十分な強度と、高い排水性を実現した。
 ドックの完工時期は不明だが、文久元(1861)年秋に電流丸の船底の銅板を張り替えたという記録がある。また、電流丸のボイラー(蒸気窯)の交換が必要になり、日本初のボイラー製造にも取り組んだ。技術は次第に蓄積され、初の国産蒸気船「凌風丸」の建造につながっていった。

ボイラー、船 自力で製造

三重津海軍所について話す瀬戸記者

山崎泰先生 肥前さが幕末維新博の見学を前に、幕末維新期に佐賀藩が海軍をつくったことについて知識を深めるため、佐賀新聞社の多久島文樹NIE推進デスクと、記事「洋式海軍の始動」を書いた瀬戸健太郎記者に話をしてもらいます。
多久島文樹デスク 鍋島直正が藩主になったのは17歳。皆さんよりちょっと年上のころです。1840年、直正が22歳の時、アヘン戦争で清(現在の中国)がイギリスに敗れました。清の軍艦は木製の帆船、イギリスは鉄製の蒸気船で大砲の威力も全然違います。佐賀藩は長崎警備をしていましたから、藩主である直正は「このままでは、次は日本がやられる」と感じたと思います。「どうすればいい」と考えた末に「西洋諸国と同じ力を持つことが必要だ」と決意したのが、直正の優れた点ではないでしょうか。

幕末期の佐賀藩のことについて話す多久島デスク

 皆さんは維新博見学の時、幕末維新記念館(市村記念体育館)で直正ら「七賢人」に触れると思います。2度首相になり早稲田大学を創設した大隈重信や、司法卿江藤新平、外務卿副島種臣といった人たちです。この人たちの業績は、見学後に調べてみてください。唐津には維新博の「唐津サテライト館」もありますので、そちらもぜひ見学して、唐津出身で活躍した人たちのことも学んでください。
瀬戸健太郎記者 佐賀藩海軍の中心地で、その跡が世界文化遺産に登録されている三重津海軍所について話します。三重津海軍所は艦船を製造、修理する施設と、艦船を操る人材を育てる施設が一つになっていました。船を入れた後に水を抜いて、船底の修理などをする施設を「ドライドック」と言います。三重津が選ばれたのは、有明海に注ぐ早津江川の河口に近く、有明海の干満の差を利用して、引き潮の時にドック内の水が自然に排水できるからです。ドライドックの遺構は発掘調査された後、現在は埋め戻されています。
 人材育成については、三重津海軍所ができる前に、長崎にあった幕府の海軍伝習所で大勢の佐賀藩士がオランダ人から西洋式の操船技術を学び、三重津に持ち帰って士官や水夫の教育をしました。
 三重津では日本初の国産蒸気船「凌風丸」を造りましたし、その前にボイラー(蒸気釜)も造りました。ボイラー製造ではかなり苦心したらしいことが、調査時の発掘品から分かっています。
生徒1 ドライドックの遺構はなぜ埋め戻されたの。
瀬戸記者 ドックは木組みで、地中に埋まっていたから残っていました。掘り返したままだと木が腐ったり、雨や風で崩れたりして遺構を残せなくなるので、残念ながら埋め戻されました。
生徒2 ボイラー製造の苦心がなぜ発掘品で分かるの。
瀬戸記者 鉄板同士をつなぐために「リベット」という鉄の鋲のような部品を使うのですが、うまくいかないと、一度打ち込んだリベットを切断しないといけません。不自然に切断されたリベットが大量に出土しています。
生徒3 凌風丸はどのように使われたの。
瀬戸記者 藩主直正を乗せるために造られ、実際に何度か諫早などに直正を運んだりしています。明治3年に太良町沖で座礁し、最後は外国人の手に渡ったようです。
生徒代表 これまで全然知らなかった佐賀藩の歴史や技術を学ぶことができました。維新博の事前学習としてだけでなく、佐賀県民として知っておくべき情報を得られたと思います。そして、ここにいる大勢が「佐賀ってすごい」と、誇りに感じたと思います。


【授業を聞いて・みんなの感想】

3年 手島 玲美さん
 記者さんたちの話を聞いて、「鍋島直正はすごい人物だったんだ」と思った。17歳で佐賀藩の藩主となり、その後は長崎の警備をして西洋の技術を取り入れ、蒸気機関や蒸気船を完成させたりして、時代の先を見据えたさまざまな功績を残したことが分かった。これを機会に「もっと佐賀県の歴史について知りたい」と感じた。


3年 松本 荘磨さん
 学習会の中で「佐賀の七賢人」についての説明が、最も印象に残った。「七賢人」それぞれが、佐賀県やほかの県で目覚ましい活躍をしたことにとても感銘を受けた。明治維新から150年ということで、郷土・佐賀の幕末から明治維新にかけての歴史を、より深く学びたいという思いを強くした。

【維新博 INFORMATION】

11/4まで 秋トクキャンペーン
※テーマ館3館は常時高校生以下無料です

さが維新まつりの10/20(土)とバルーンフェスタ期間中の10/31(水)~11/4(日)、幕末維新記念館は開館時間を19時まで延長!(最終入館時間18時30分)

□シニアと一緒に来場しよう! シニア割!
シニア(60歳以上)の来場者またはシニアと一緒に来場すると、入場料を割引します(チラシのクーポン持参かスマホ画面提示の上、当日窓口でチケット購入された方のみ)。

・ 単館チケット 幕末維新記念館…800円→600円
           リアル弘道館、葉隠みらい館…各400円→各300円
・ チケット3(3館共通券)…1200円→1000円

■対象施設/幕末維新記念館・リアル弘道館・葉隠みらい館

□Welcome 和装!
期間中、和装で来場された方はなんと入場無料!

■対象施設/幕末維新記念館・リアル弘道館・葉隠みらい館

□ハッピーオータム抽選会
期間中、毎日先着200名様にすてきな賞品が当たる抽選券をプレゼント!(小中学生の体験授業は除く)。

■対象施設/幕末維新記念館


 

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