茶人だった大島小太郎の企業家精神が息づく旧大島邸=唐津市南城内

 「明治維新150年」の掛け声とともに始まった2018年も、あと3カ月となった。この間、さまざまなイベントや企画を通じて、日本の近代化をリードした先人や偉業を振り返ってきた。肥前さが幕末維新博覧会や本紙連載の「さが維新ひと紀行」もそうだ。

 「薩長土肥」の雄藩として語られてきた佐賀藩、あるいは政治家や官僚を中心とした「佐賀の七賢人」だけではない。その対極にあった唐津藩など諸藩、また技術者や教育者など国の礎を築いた各界各分野の人物ら、あの時代の諸相に光が当たったのも収穫だろう。

 社会の激動期は経済の担い手にも大きな変動が生じる。幕末・維新期は江戸期豪商が没落する一方、新たな企業家が経済の表舞台に登場した。土佐藩の地下(じげ)浪人から身を起こし三菱財閥を築いた岩崎弥太郎、武蔵国(埼玉県)の豪農に生まれ、500社もの企業の設立に関わり日本近代資本主義の父と言われた渋沢栄一らである。

 「さが維新ひと紀行」では、杵島炭鉱など多くの炭鉱を経営し「炭鉱王」として名をはせた高取伊好、土佐藩の生まれながら北波多の芳谷炭鉱の経営に携わり、唐津鐵工所や小松製作所を創業した竹内明太郎、唐津のインフラ(産業基盤)整備に多大な貢献をした大島小太郎らを取り上げてきた。

 大島は唐津以外ではあまり知られていないが、唐津藩英学校「耐恒寮(たいこうりょう)」で高橋是清の教えを受けた一人で、唐津港の将来性に注目し地元企業を育てるには金融機関が必要と、唐津銀行を設立。唐津と博多、佐賀、伊万里を結ぶ鉄道を敷設し、市街地の電化を進めた。

 一方で苦境にも直面した。世界大恐慌を経て第2次世界大戦に向かう中、銀行の業績が悪化し、1936(昭和11)年、赤字に転落した。再建のため多くの資産を売却し、自らは立て直しまでの6年間、一切の報酬を辞退した。

 先に触れた渋沢栄一は著書『論語と算盤(そろばん)』で「企業の経営者は利潤の追求と同時に、職業倫理の高揚に努めよ」と説いた。「経営者の教養本」とされるが、大島の足跡をたどる時、彼も「論語と算盤」を実践した一人と言えよう。

 その唐津で歴史と伝統文化を生かしたまちづくりに向け、官民協働で始動した「Re:からつプロジェクト」は13日、「明治維新と唐津の実業家」「文明開化と着物文化」をテーマにしたトークイベントを開く。翌14日は、文化人、教養人としても知られた高取と同様、茶道宗徧流の茶人だった大島ゆかりの旧大島邸で茶会を催す。

 企業の不祥事や不正問題が相次ぎ、経営モラルが問われる今日、社会的地位と財力がある企業家が地域社会や地域文化に果たすべき役割、また、明治人の教養について考えてみるのも、明治維新150年の一義だろう。(吉木正彦)

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