佐賀藩の「技」について語り合うパネリスト等。左から井沢元彦さん、鈴木一義さん、川副義敦さん=県立美術館ホール

 「肥前さが幕末維新博覧会」の特別企画として、トークショー「日本の産業革命は佐賀から~最先端の『技』はこうして生まれた~」が16日、佐賀県立美術館ホールであった。「逆説の日本史」シリーズで知られる作家の井沢元彦さんら3人が登壇。幕末期、西洋の科学技術を吸収しながら、世界に負けない国づくりを最優先に考えていた佐賀藩をテーマに意見を交わした。

 

 登壇者は井沢さんをはじめ、国立科学博物館産業技術史資料情報センター長の鈴木一義さん、武雄市歴史資料館歴史資料専門官の川副義敦さんの3人。

 佐賀藩主・鍋島直正が近代化に踏み出したきっかけについて井沢さんは、1808年に長崎港に英国帆船フェートン号が侵入した事件を取り上げ「防衛のための武力化に目覚めた」と指摘。また川副さんは、武雄領主・鍋島茂義が直正に大砲訓練を見せたエピソードを示し「佐賀藩の砲術プロジェクトの始まりになった」と説明した。

 鈴木さんは具体的な科学技術の面から佐賀藩の先進性を解説。砲身の内側にらせん状の溝を作り射程と命中率を高めるアームストロング砲について「欧米が開発に苦労していた同時期に佐賀藩もチャレンジしていた」とした。

 また最新の軍備と軍隊を持ちながら戊辰戦争勃発直後に動かなかった直正について、各登壇者が推論を述べた。井沢さんは「内戦をしている場合ではないという意識が強かったのでは」。鈴木さんも「海外からの脅威に対応するための軍備増強であり、国内で使うのは本意ではなかった」と賛同。川副さんも、直正が「大砲でのせん滅は避けるように」と命じていた資料から「次の時代に優秀な人材を残すことを考えていた」とまとめた。

 ※トークショーは後日詳報します。

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