不妊手術を強いられた当時の状況を手話で中村理事長に伝える女性(77)=佐賀市の県聴覚障害者協会

不妊手術を強いられた女性(84)の腹部。60年以上たった今も傷跡が残っている

 旧優生保護法(1948~96年)下で、佐賀県内でも聴覚障害者4人が不妊手術を強いられていたことが分かった。当事者4人のうち女性2人が、佐賀新聞社の取材に応じ、胸の内に秘めてきた思いを吐露した。「子どもが欲しかった」。腹部に手術痕が残る女性は、手術から60年たった今も癒えない悲しみと悔しさを抱えている。

 女性(84)は、23歳ごろに不妊手術を受けた。母親に何も説明されずに病院に連れて行かれ、麻酔を打たれて眠った。腹部の激痛で目が覚めた。病院のベッドの上だった。どれぐらい眠っていたのか覚えていない。服をめくると、腹部に生々しい傷跡があった。何の手術だったのか、誰も教えてくれなかった。

 不妊手術だったと知ったのは、30歳で結婚した後だった。夫の親に「なかなか子どもができないね」と伝えられ、母親に相談した。「あなたは、もう子どもは産めない」。あの時の手術が不妊手術だったと初めて知らされた。

 「子どもがいれば、どんな人生を送っていたか。たくさんの喜びを奪われてしまった」。子どもがいたかもしれない別の人生を想像すると、悔しさがこみ上げる。旧法を運用した国への怒りをこう表現する。「子どもを返してほしい」

 自民、公明の合同ワーキングチームは、個人名入りの手術記録が残っていない当事者の救済に向け、手術痕を証拠として活用できるか議論する方針を示す。この女性にとって、約10センチの手術痕が唯一の証拠となる可能性がある。

 別の女性(77)は、30代で手術を受けた。「具合が悪かろう」と母親に病院に連れて行かれた。院内で医師と母親が会話していたが、聞こえないので内容は分からなかった。昼食を食べないように伝えられた。午後に麻酔され、意識が徐々に遠くなった。

 病室で目を覚ますと、母親に不妊手術だったと告げられた。「ろうの子どもが生まれるといけないから」。もう子どもを産めないと知り、涙が止まらなかった。退院後は1カ月以上、自宅でふさぎ込んだ。夫には「私は子どもを産めないから離婚した方がいい」と告げた。夫は静かに受け止め、離婚はしなかった。

 母親には「どうして」という思いはあるが、恨むことはできない。幼い子どもを見るたびに、いろいろな気持ちがこみ上げる。「子どもが欲しかった」。手話をしながら、目には涙が浮かんでいた。

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