「協和館」で用いられていた鬼瓦。現在は倉庫に保管されている=佐賀市久保泉町

 「佐賀の鹿鳴館」と呼ばれた、佐賀市の明治時代の建築物「協和館」が休館した。佐賀城の天守台に建てられていたが、佐賀城本丸歴史館の整備に伴い、本来は佐賀城と関係がなく復元のイメージに合わないとして、2004(平成16)年に解体・撤去された。

 協和館は1886(明治19)年、初代県知事が「官民融和の社交場」として、佐賀市松原2丁目(現在の佐賀中央郵便局)に建設。市が買収して庁舎として使っていたが、1957(昭和32)年、敷地を郵便局用地に譲渡する際に、佐賀城の天守台へと移された。

 木造2階建てで、30畳の和室や洋間など5室あり、会議や書道教室、花見・月見などで利用された。その立地から「佐賀城の天守閣」と誤解する市民も少なくなかったという。

 復元も検討されたが、実現せず、現在も佐賀市久保泉町の倉庫で保管されている。市の調査で、建築当時のオリジナル部材は玄関部分を除いてほとんど残っておらず、移築を重ねる過程で昭和30年代のものに置き換えられていたという。

 同市文化振興課は「今のところ具体的な活用策はなく、このまま保管を続ける」と話す。(15年前)

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