遠くに見える北方領土の島を眺め、思いをはせる生徒たち=北海道標津町

研修中の勉強会では、北方領土の地図に学んだことを書き加えた=標津町

元島民の福沢さん(左)から当時の話を聞く生徒たち=標津町の北方領土館

北方四島の返還を祈って造られた「四島のかけ橋」前で記念撮影する参加者=根室市納沙布岬

北方館では、清水副館長(左)から北方問題についての実情を聞いた=根室市

 県内の中学生が8月16~19日の3泊4日、北方領土問題を学ぶため北海道最東端の根室市、標津町、羅臼町を訪問した。県内5校から1~3年生15人が参加、元島民や返還運動に携わる人たちの話に耳を傾け、海の向こうに見える「近くて遠い島」について考えた。

 旧ソ連軍が択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島の「北方四島」を“不法占拠”して73年-。日本政府は日本固有の領土であるとして一貫して返還を求め、ロシア政府との交渉を続けるが、問題は解決を見ないまま長期化し、風化も懸念される。

 中学生の現地視察は、生徒たちに領土問題を身近に感じ、認識を持ってもらおうと、北方領土返還要求運動佐賀県民会議が2年ぶりに主催した。事前研修では北方領土に関する歴史や外交について学んだが、生徒から「同じ日本なのに領土問題について知らなかった」という声もあった。

 北海道・根室中標津空港に降り立ち、向かったのは国後島まで24キロの近さの標津町。北方領土の歴史や返還要求運動の歩みを知ることができる「北方領土館」で、元島民で同町在住の福沢英雄さん(78)から、ソ連軍が襲ってきた当時の様子や、北方領土問題についての思いを聞いた。

 5歳まで歯舞群島の多楽島で生活していたという福沢さん。そこには平和な暮らしの営みがあったが、1945年の終戦直後、島にソ連軍がやってきて次々と占拠し、島民の生活は一変。「毎日兵隊が家にやってきて、土足で上がり込み、仏壇などから大事な物を奪った」。福沢さん一家は追い立てられるように本土に渡り、住む場所も仕事もない土地で、苦難の日々を過ごしたという。

 1992年から始まった「ビザなし交流」についても説明した。元島民たちは久しぶりに思い出のふるさとを訪れ、そのありがたみを改めて実感した。「島民たちは、家や財産などを投げ捨ててきた。自分たちのふるさとを戻してもらいたい」。福沢さんは切実な願いを口にした後、「皆さんはどう考えるかね」。投げかけられた質問は、生徒たちの胸に突き刺さった。

 クルージング船からの洋上視察は悪天候でキャンセルとなったが、根室市の納沙布岬にある北方館で、北方領土の「近さ」を実感した。その日は視界が開け、歯舞群島の貝殻島灯台がはっきり見えた。納沙布岬から貝殻島まで3・7キロ。北方館職員が「3・7キロ先はロシアに取られている」と説明すると、生徒たちは黙ったまま、じっと「近くて遠い」海を見つめた。

 清水幸一副館長(63)は「70年以上たったが、領土問題は前に進んでいない」と憤った。北方領土で暮らすロシア人のほかに、中国などから人が来ていることに触れ、「年月がたち、問題解決がますます難しくなっている」と危機感を募らせた。

 滞在中は勉強会も開き、自分たちが学んだことをまとめる作業もあった。「福沢さんや北方館の職員の方の熱い思いを感じた」「僕たちが問題について意見を言える立場になるべきだ」。現地で実感したことをそれぞれ述べ合った。

 さまざまな思いを抱えて、佐賀に戻った15人。現在進行形で問題が複雑化している実態にも驚いたという渕田太陽さん(15)=城南中3年=は「多くの人に問題を自分のふるさとのことと思って考えてほしい」。世論の盛り上がりを期待し、そのためには問題を語り継ぐことの大切さも実感している。

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