眞光寺の田中信之前住職と「全戦争犠牲者追悼」と書かれた慰霊牌。70年以上引き取り手がいない戦没者を供養する=神埼市の眞光寺

 70年以上引き取り手がいない戦没者の遺骨を供養し続けている僧侶がいる。眞光寺(神埼市)の前住職田中信之さん(82)。遺骨はいずれも戦地ではなく、訓練中や物資輸送中に不慮の死を遂げ、ひっそりと弔われた6人の兵士。肉親ら戦没者を知る人が減り続け、社会から忘れ去られようとしている運命にあらがうように、田中さんは追悼と平和の尊さを胸に刻む会を毎年開き続けている。

 寺にある遺骨は、1945年ごろに陸軍目達原飛行場(現神埼郡吉野ヶ里町)の部隊葬などでひそかに見送られた戦没者だ。飛行訓練中に戦闘機と間違われ敵から撃墜された兵士や、物資輸送で佐賀市上空を飛行中に敵から撃ち落とされた兵士。「華々しく散った名誉の死ではないと軍から判断されたと聞いている」と田中さん。訓練兵9人は部隊葬、物資輸送中だった1人は佐賀市内で葬式が執り行われたという。当時住職だった田中さんの父は、軍からの依頼で10人を弔っていた。

 戦後、6柱の遺骨が残り続け、田中さんは1990年に6柱を含めた全ての戦争犠牲者を追悼する慰霊牌を作った。縦90センチ、幅40センチの位牌に似た形になっており、足元に二つの頭を持つ想像上の鳥・共命鳥ぐみょうちょうをあしらう。争いを否定し共生を目指す仏教の考えを表している。「私たちは同じ大地に生きている。争いの愚かさを語り継ぐ努力が必要」。そんな思いを込めた。

 6柱の遺骨は引き取り手もないまま94年に50回忌を迎え、田中さんは全て遺族の元に返したいと考えた。それを人づてに聞いた福岡県に住む戦没者の元妻から寺に連絡があった。

 「返されては困る」。元妻は、結婚後間もなく戦死した元夫の位牌を抱えて再婚。嫁ぎ先では位牌を押し入れ奥深くに隠していた。家族に言えないその秘密を自分の死後どうすべきか。思い悩んでいたという元妻は、夫の遺骨が寺にあると知り、隠していた位牌を預けに来た。

 「よろしくお願いします」。田中さんは位牌を差し出す女性の姿を見て、残りの遺族を探すことをあきらめた。半世紀が流れて、それぞれの戦後がある。以来、元妻から連絡はない。

 この20年、寺を訪ねてくる特攻隊の生き残りもいなくなった。毎年催していた「戦争犠牲者慰霊祭」は、遺族の減少から「平和のつどい」に名前を変えて継続している。「これは悲しみの記録。語り続けていくべきことだ」。慰霊牌を前に言葉に力を込めた。

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