旧唐津銀行本店。通りに面した正面に2本の煙突が立つ=唐津市本町

旧三菱合資会社唐津支店本館。写真の右側が海に向かっている=唐津市海岸通

清水重敦教授

河上眞理教授

 「日本の近代建築の父」と呼ばれる唐津出身の建築家辰野金吾をテーマにした特別講座が7月28日、唐津市本町の旧唐津銀行本店で開かれた。『佐賀偉人伝08 辰野金吾』(佐賀県立佐賀城本丸歴史館発行)の共著者である京都造形芸術大学の河上眞理教授(54)と京都工芸繊維大学の清水重敦教授(47)が講演。辰野と曽禰達蔵(明治建築界を代表する唐津出身の建築家)にゆかりのある、唐津に残る二つの近代建築の新たな見方も披露された。講演要旨を紹介する。

■煙突と暖炉テーマか/旧三菱合資「海側が正面」

 京都工芸繊維大教授 清水重敦氏

 旧唐津銀行本店は辰野金吾の弟子の田中実の設計とはいえ、とても辰野らしさが出ている。赤レンガ系の躯体(くたい)に白い帯。「辰野式」の特徴と一致する。だがこの建物は異様に煙突が多い。正面にも2本煙突があり、デザインを邪魔している。

 辰野はフランス、イタリアの1年間の旅行でいろんな建築を見ている。私はその時のメモ「滞欧野帳」を見て、煙突と暖炉を一生懸命描いているのが気になった。建築の中で、暖炉と煙突は装飾的なものを表現するのに適している。

 旧唐津銀行には暖炉もたくさんある。1階に6カ所、2階に3カ所。暖炉と煙突はつながっている。例えば1階の通りに面した側の2カ所の暖炉の上は、内側からは大きな柱が立ち上がっているように見える。中には煙が上がる煙道があり、その部分を外から見ると、赤レンガの間の白い部分に重なる。多くの暖炉を仕込みながら、それが外壁のデザインになっている。

 煙突と暖炉を重要なデザインテーマにしているのではないか。田中の設計とはいえ、辰野が欧州で学んできたことを辰野がデザインしたほかのどの建物よりも色濃く反映しているのではないかと思う。

 次に曽禰が建築顧問を務めた旧三菱合資会社唐津支店本館。私は海側から見た時に驚いた。1、2階にコの字形にベランダがある。ベランダ・コロニアルと呼ばれ、明治初期から洋風建築によくあるスタイル。不思議なのは屋根。洋館では屋根が一番上まですっと流れた寄せ棟造りが一般的だが、ここは和風建築に多い入り母屋造り。海側からは普通の洋館に見えない。

 海に向かって建ち、屋根が入り母屋造りでベランダ・コロニアルの建物は、東南アジアにはたくさんある。建設された明治40年代には、東南アジアにどんな建物が建っているか、見聞きした人がいたはず。唐津の石炭産業が海を越えた外側を見ているんだ、と表現するため、このデザインをとったのではないか。

 そこに曽禰がどう関わったかは不明だが、唐津の産業の特性を建物に込めたと考えたい。港の船から見ると建物の裏側が正面。この建物は裏が正面だと思う。

 

■美術建築日本に導入

 京都造形芸術大教授 河上眞理氏

 辰野金吾は1879(明治12)年に工部大学校(現・東京大工学部)の造家学を首席で卒業し、翌年2月から官費留学で英国に向かい、83年5月に帰国した。その間は断片的にしか分かっていなかった。だが近年、「辰野金吾滞欧野帳」(県立名護屋城博物館の企画展で展示中)が出てきた。

 英国では建築家ウィリアム・バージェスに師事した。「美術を応用してこそ建築だ」と美術建築を学んだ。辰野はこうした学びをフランス・イタリアの1年間の旅でより理解したと考えられる。バージェスは「全ての建築家、とりわけ美術建築家は旅をすべきである」との言葉も残している。滞欧野帳にはどんなものを見たか、が描かれている。

 帰国後、建築家の仕事だけではなくて、美術教育も考えて仕事をした側面がある。辰野が手掛けた日本銀行本店本館には装飾豊かな暖炉があり、大阪市中央公会堂には渡欧時から交流がある画家松岡壽による壁画がある。建築と絵画と彫刻の三つの分野で成り立つのが美術建築。これを何とか日本で実現しようと辰野は努力した。

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