中山敏夫氏(左)、脇山伸太郎氏(右)

 24日に告示された東松浦郡玄海町長選は、無所属の新人同士の一騎打ちになった。町の将来像を巡り、論戦を展開している2人の横顔を紹介する。=届け出順

花火大会を企画・運営 脇山伸太郎氏(61)

 祖父は旧有浦村の村議で、父は町議。「今思うと、レールを敷いてくれたのかもしれない」。45歳で町議選に挑み、初当選した。「一番感情が高ぶった瞬間だった」と振り返る。

 福岡大学卒業後、実家の家電販売を継ぐため町に戻った。幼いころに楽しんだ盆踊りや綱引きはなくなり、活気がなくなっていた。「このまま何もない町になったらいかん」。当時所属していた商工会青年部で花火大会を企画。今も運営に関わる。当日は事務仕事が忙しく、「いまだに妻と2人で見たことがない」。

 自身の性格は「争いは好きじゃない。通信簿にはよく『温厚』と書かれていた」と話す。それだけに小学生のころに見たベトナム戦争のニュースは衝撃だった。「なぜ人は殺し合うのか。人のためになる人になりたい」との思いを抱いた。町おこしや議員活動の根っこには、その思いがある。

 趣味は車いじりと中学生の時に始めたギター。大学時代に組んだバンドは解散していないが、最近は忙しくて活動を休止している。個人練習は欠かさず、「大音量の中にいると、嫌なことを忘れられる」。フェンダー社のストラトキャスターを握る。諸浦。

 

背広姿で競りに参加 中山 敏夫氏(63)

 4年前の町長選では敗れた。「町がよくなれば今回は出なくてもよかった」。1次産業の元気がなくなってきているように思えてならない。人口減も進み、周囲の「今のままじゃいかん」という声を受け、2度目の立候補を決心した。

 厳木高卒業後、福岡県の食品会社に1年勤めたが、父親の体調不良を機に帰省。28歳で実家の青果販売を継いだ。築いた信頼関係から「納品を断られたことはない」と胸を張る。野菜は、届け先のことを考えながら一つずつ丁寧な包装を心掛ける。その姿勢は、公約に掲げる「町民第一の行政」にも通じる。

 がむしゃらに仕事をしていたころ、当時の鶴田留蔵町長(故人)から「おまえしかおらん」と何度も誘いを受けて町議に立候補した。「一生懸命に店をやっていたのを見てくれていたのかも」と話す。

 青果市場に通って40年以上になる。町議時代も、一般質問の日以外は、背広に議員バッジを付けて競りに参加した。「農家の気持ちは分かるつもり」。連作障害対策など農業への支援も訴える。

 DVD観賞が趣味で「最後に正義の味方が勝つ物語が好き」。今村。

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