辰野金吾が欧州滞在中に建物を巡り、残したスケッチブック「滞欧野帳」。鉛筆で描かれ、中には彩色のものも(個人蔵/明治13-16年)

高橋是清の借財記録(首都大学東京図書館蔵/元金利息覚書帳/明治4年)

 唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館で20日から、企画展「高橋是清と辰野金吾 唐津藩洋学校耐恒寮をめぐる人々」が始まる。明治維新150年記念で、耐恒寮に着目した展覧会は初。英語教師で唐津に赴任する是清(後の首相)と、辰野ら代表的な生徒5人の関連資料約90点を展示する。8月31日まで。

 耐恒寮は1871(明治4)年、唐津藩が新たな人材育成の場として開設し、藩士の子弟に英語教育などを行った。当時の様子は『高橋是清自伝』(中公文庫)に詳しく、借金返済のため、数え年18歳で赴任したという自伝を裏付ける是清の借金と給与の記録を展示。当時日本で英語教科書に広く使用された「パーレー万国史」も紹介。実際の使用は定かでないが、辰野の伝記に耐恒寮で万国史を学んだとの記述がある。

 メーンの展示は、日本近代建築をリードした辰野が、欧州滞在中に建物のデザインをスケッチした「滞欧野帳」。近年発見された資料で、辰野が貪欲に西洋から吸収しようとした姿勢が伝わる。

 このほか、辰野と同じ建築家の曽禰達蔵、九州の炭鉱開発に功績を残した麻生政包、地元の近代化に尽くした大島小太郎、経済学者の天野為之の資料を紹介する。明治から続く唐津出身者の学生寮「久敬社(きゅうけいしゃ)塾」(川崎市)に残る記録からは、上京後も辰野らが郷土と深い関わりを持ち、同郷者を支援していたことが分かる。

 開設期間が1年強と短く、廃藩置県もあって、同博物館の久野哲矢学芸員(37)は「耐恒寮の資料は皆無に等しい」とし、「関係者のゆかりの品を紹介し、郷土やわが国の近代化の歩みに足跡を残した人たちを知ってほしい」と語る。観覧無料、毎週月曜は休館。

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