「ここが待合室で」と駅舎があった頃を思い出す田代登代季さん(左)と山口照紀さん=伊万里市松浦町の桃川駅

松浦町の商店会が昭和56年に出したチラシ。名前がある28店中、今も続いているのは2店ほどしかない

現在のJR桃川駅。駅舎は解体されてプラットホームだけがある=伊万里市松浦町

 駅にはプラットホームだけがあった。伊万里市松浦町のJR桃川駅に駅舎はなく、解体されて更地になっている。その脇にバス停の標識が所在なげに立つ。目をやると、路線バス廃止のお知らせとコミュニティーバスの時刻表の貼り紙があった。

 昭和バスは3月末、伊万里市と武雄市の中心部を結ぶ路線バスを廃止した。利用者の減少に運転手不足が重なり、自治体の赤字補填(ほてん)を受けても路線を維持できなくなった。4月からは両市の委託を受けたタクシー会社が10人乗りのワゴン車を代替運行している。

 運行区間は武雄市中心部と桃川駅間に短縮し、伊万里市中心部に行く人はJRに乗り換えてもらう。ただ、コミュニティーバスの運転手はこう言った。「1便1~5人利用するけど、桃川駅で乗り降りする人はほとんどおらん。あそこはトイレも商店もなくて不便か」

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 松浦町桃川地区は伊万里と武雄、唐津方面をつなぐ交通の要衝として昔から栄えた。昭和10(1935)年に開業した桃川駅は近接する武雄市の若木、武内両町の住民も利用し、昭和40年代まで1日の乗客数は500人を超えていた。筑肥線の県内区間では伊万里駅、東唐津駅に次いで多かった。

 「今よりひと回り大きい車両が3両で走っても、通勤の時はぎゅうぎゅう詰めやった」と近くに住む山口照紀さん(75)。駅前には民間バス3社のバス停が並び、朝の駅舎は人で混雑した。

 商店街もにぎやかだった。実家が食堂だった田代登代季さん(70)は「たばこ屋、豆腐屋、仕出屋、自転車屋…。桃川には何でも2軒ずつあった」と懐かしむ。

 しかし、県内にもマイカーブームが訪れた昭和50(1975)年前後から、鉄道やバスの利用者が徐々に減るとともに商店街は活気を失っていく。平成12(2000)年、長崎自動車道武雄北方インターへのアクセス道路として、桃川と伊万里市中心部を結ぶ松浦バイパスが開通すると、その流れは加速した。

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 今、桃川駅の1日平均乗客数は50人を割っている。ピーク時の1割以下だ。過疎高齢化がさらに進む中で「地域の足」を維持するには、鉄道やバスの事業者と行政、住民の連携が欠かせない。

 「30年くらい前に筑肥線廃止のうわさが広がった時、列車に乗って松浦川にホタルを見に行こうという企画ばしたもんね。好評やったけど、うわさがなくなるとやめた。もう一度、地域で何かせないかんね。鉄道がなくなるとますます寂れるもん」。田代さんは雑草が生い茂る駅舎の跡を眺めながら言った。

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