中学時代の池坊専威師(左)と神原玄祐師(写真提供=大興善寺)

 神原玄祐少年と大興善寺住職、玉岡誓恩師。2人の巡り合いは誓恩師の急逝により、わずか1年足らずで終わった。

 突然、師を失った玄祐少年は「これからの進路や生活など身の振り方をどうするか?」と悲嘆にくれ、路頭に迷い、いったんは自坊に帰った。

 幸い、父の兄弟弟子で、1910(明治10)年に得度の折、授戒師としてお世話になった京都市東山区粟田口にある青蓮院(しょうれんいん)門跡の三津玄深大僧正のもとに入門することができ、そこで修行を積み重ねながら1913(大正2)年4月、私立天台宗尋常中学校(現・比叡山中学校)に入学する。

 中学時代の学友に、京都六角堂、紫雲山頂法寺の華道家元池坊専威師がいた。池坊専威師と玄祐師との運命的な出会い。それは後に、大興善寺が裏山一帯を開発し、観光名所「つつじ園」として、大きな脚光を集める契機となった。

 2人の交流は、玄祐師が大興善寺の住職に就任後も続いた。山深い田舎の大興善寺に玄祐師を訪ねた専威師は、玄祐住職と酒を酌み交わしながら「人生は美に向かって猛進せよ。そしてその行動はいかほど厚かましくてもよい。その苦難の中にも美を忘れるな」と、話したという。

 (地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

このエントリーをはてなブックマークに追加