右手にはめたグラブで捕球し、グラブを外して右手で送球する小川恭平選手(左)=神埼市の神埼清明高

 「兄ちゃんをいつか越えたい」-。強い気持ちを胸に、全力で白球を追いかける球児がいる。神埼清明高野球部3年の小川恭平さん(17)=神埼市千代田町。脳性まひの影響で生まれつき左ひじより先がほとんど動かないが、野球を始めるきっかけを与えてくれた兄が立てなかった聖地・甲子園への憧れは誰よりも強い。7日に開幕する夏の県大会でのメンバー入りはかなわなかったが、記録員として後押しする。

 「左手を使えていない」。父・誠さん(50)が恭平さんの異変に気付いたのは生まれて間もない時だった。すぐに病院で検査をしたが明確な原因は判明しなかった。ただ、「自分ではまひがあるという感覚はなかった」(恭平さん)と千代田東部小3年の時、五つ上の兄・拓巳さんの背中を追って野球を始めた。

 千代田中に進んでからもプレーを続けた。「自分の動きが遅く、できないことも見えてきた」と感じたこともあったが、「野球をする上で少し不便なだけ」と前向きに取り組んだ。野球で中学3年の時に全国舞台に立った兄と対照的に、恭平さんは立てなかった。「まだ越えていない。大好きな野球で越えてやる」。親の勧めもあって神埼清明高へ進学を決めた。

 小学校時代からけがが多く、高校ではけがをしない目標を立てたが1年の冬に腰を痛めた。それでも「まだ先はある。(新チームになった)自分たちの代ではベンチに入る」気持ちを切らさなかった。竹内文人監督(34)が「ほんとに努力家ですよ」と認めるほどで、守備練習では器用なグラブさばきで周囲と遜色ないプレーをし、打席に立つと右手一本で豪快なスイングを見せる。

 その思いが結実し、今年3月にあった春の県大会では背番号「20」を渡された。初めてのベンチ入りに「うれしさと驚き。それに、やっと入ることができたという安心の気持ち」。さまざまな気持ちが沸いた。

 塩田工高との3回戦では6番右翼で先発出場。「みどり(の森県営球場)の電光掲示板に名前が載り、ここまで続けてきてよかった」とかみしめ、誠さんも「感動した」と目を細めた。

 「目標はチームが甲子園に行くこと。自分にできるサポートで導きたい」。最後の夏の県大会は選手としてグラウンドに立つことはできないが、奮闘する仲間に思いを託し、ベンチから声援を送る。

このエントリーをはてなブックマークに追加