試験走行でJR新八代駅を過ぎ、軌間変換装置の上を通過し在来線のレール幅に切り替えるフリーゲージトレイン=2017年3月、熊本県八代市

2022年度の暫定開業へ向けて工事が進む九州新幹線長崎ルート=武雄市武雄町

 九州新幹線長崎ルートの現行計画の頓挫に端を発した混迷は、曲折を経てきた整備新幹線そのものの宿命ともいえる。計画の一時凍結や国鉄分割・民営化、賛否を巡る地域間の対立…。1973年の計画決定から45年にわたる整備新幹線の歩みと、長崎ルート着工の経緯を振り返る。

Q「整備新幹線」って

全国5路線、計画から45年 3路線なお建設中

 九州新幹線長崎ルート(博多-長崎間)を含む「整備新幹線」は、1970年に制定された全国新幹線鉄道整備法に基づき、高度経済成長期の72年に基本計画が策定され、翌73年には整備計画が決まった。

 全5路線で、長崎ルート以外に鹿児島ルート(博多-鹿児島中央間)、北海道(新青森-札幌間)、東北(盛岡-新青森間)、北陸(東京-新大阪間)の各新幹線がある。整備計画が決まる前に営業や着工をしていた東海道、山陽、東北(東京-盛岡間)、上越の各新幹線は整備新幹線に含まれない。

 計画はオイルショックによる景気低迷や国鉄(当時)の経営状況の悪化を受けて膠(こう)着(ちゃく)し、82年に政府は整備新幹線の着工を当面見合わせる閣議決定をした。87年に国鉄が分割・民営化する直前に解除されたものの、行財政改革の高まりで、新幹線に巨額の財政投入をすることへの懸念はくすぶり続けた。

 運輸省(現国土交通省)は88年、財政難に伴い全線フル規格での整備の構想を改め、在来線を活用したミニ新幹線やスーパー特急方式による建設を打ち出した。翌89年、北陸新幹線高崎-軽井沢間を皮切りに本格的に着工した。

 長崎ルートより整備が先行した鹿児島ルートは91年、八代-西鹿児島間がスーパー特急方式で着工した。その後、2000年の政府・与党の合意で、地元の要請に応える形で博多-西鹿児島の全線フル規格化が決まった。04年に新八代-鹿児島中央間で部分開業し、11年には博多まで全線開業した。

 整備計画の決定から今年11月で45年。開業していない長崎ルートを除く4路線の開業区間の総延長は約962キロ。現在も長崎ルート、北海道新幹線、北陸新幹線の3路線で総延長約402キロを建設中で、北陸新幹線の敦賀以西のルートは未着工になっている。

Q着工の条件は

財源、採算性、自治体同意など5条件

 

 整備新幹線は、独立行政法人の鉄道・運輸機構が高架線路やトンネルなどの施設を建設して保有し、JRに貸し付ける方法で運営している。列車運行(上)と線路建設(下)の主体が別になることから「上下分離方式」と呼ばれている。鉄道・運輸機構は、日本鉄道建設公団と運輸施設整備事業団が2003年に統合してできた。

 旧国鉄時代に政治家主導で鉄道整備を進め、赤字が膨らんだ反省から、政府・与党合意に基づいて1997年に全国新幹線鉄道整備法が改正され、現在の財源スキーム(枠組み)がつくられた。建設費はJRから支払われる新幹線施設の貸付料を除き、国が3分の2を支払い、地元自治体は残りの3分の1を負担する。貸付料はJRの新幹線運行で得られる受益の範囲内になっている。

 整備新幹線は基本的な条件を満たしていることを確認した上で着工する。整備期間を通じた安定的な財源の見通しに加え、安定的で継続的な経営のために、JRの収支採算性の確保が必要になる。公的資金による社会資本整備の観点から、時間短縮効果など投資効果も考慮しなければならない。

 営業主体のJRの同意も含まれる。また、新幹線区間と並行する形で運行している在来線(並行在来線)がJRの経営から分離される場合は、その沿線自治体から同意を得ることも求められる。これらは「着工5条件」と呼ばれている。

Q長崎ルートの歴史は

異例続きの計画変更 賛否が分かれ反対運動も

 長崎ルートは、時間短縮などの効果を見込みにくい佐賀県と、積極的に整備を求める長崎県との間で立場の違いを抱えてきた。沿線自治体の温度差もあり、1973年の計画決定から45年たった今も曲折が続いている。

 長崎ルートの建設は当初、放射能漏れ事故を起こした原子力船「むつ」の佐世保港への受け入れに対する見返り策として、長崎県が求めたことなどを背景に計画が進められた。佐世保市は誘致運動を行い、85年に旧国鉄が公表したルートは、佐世保市を通る「早岐(はいき)ルート」だった。

 ところが、国鉄分割・民営化後のJR九州が87年、長崎ルートは毎年100億円超の赤字が見込まれ、経営を圧迫するとして難色を示した。翌88年に決定した整備新幹線の優先着工区間から長崎ルートは外れ、計画は行き詰まった。

 事態を打開するため、91年に佐賀県の井本勇知事(当時、故人)が代替案を提案した。佐世保経由ではなく、武雄市から長崎県大村市へ南下する「短絡ルート」に変更する内容だった。

 フル規格で整備しながら、レールは在来線の狭い幅にして特急列車を走行させる「スーパー特急方式」の採用に加え、博多-武雄温泉間は在来線を利用することなども盛り込んだ。長崎県側は合意し、全国の整備新幹線で初めて地元主導によって計画を見直した。

 一方で、長崎ルートの「並行在来線」に当たる長崎線の沿線の鹿島市など佐賀県内1市7町(当時)は92年、在来線がJR九州から経営分離されることに反対し、「JR長崎本線存続期成会」を設立した。

 96年、JR九州が経営分離の区間とした並行在来線の肥前山口-諫早間を第三セクターで運営する案を県が示したところ、存続期成会は拒否し、両者の協議は中断した。8年後の2004年3月に協議は再開されたものの進展を見ず、12月に古川康県知事(当時)が、政府・与党内の論議で長崎ルート着工の可能性が出てきたことを踏まえて「経営分離は基本的にやむを得ない」と同意を表明した。

 結果的に、時期を明示しないまま着工が決定し、沿線の市町の同意が得られずに財源だけは確保するという異例の状況になった。車輪の間隔を可変させ、新幹線と在来線のレールを直通運行させる狙いで、開発中のフリーゲージトレイン(FGT)を初めて導入する方針も示され、乗り換えなしに山陽新幹線から長崎ルートへの乗り入れが可能とされた。

 県が建設推進を明確にしたことで、存続期成会を構成していた自治体の退会が相次いだ。その一方で、県内では新幹線建設を疑問視する声が根強かったこともあり、県と存続期成会の協議は膠着状態が続いた。

 07年12月、並行在来線を第三セクター方式ではなく、JRが引き続き運行することで佐賀、長崎両県とJR九州が合意した。「3者合意」と呼ばれるもので、経営分離をしない形にして、沿線の市町の同意を不要とする前例のない手法で着工につなげた。存続期成会は09年に解散、設立から17年後のことだった。

 現在は武雄温泉-長崎間の建設が進んでいるが、FGTの開発が遅れ、導入が事実上困難になったことに伴う新たな問題が浮上している。長崎県やJR九州が全線フル規格化を求める一方、佐賀県は巨額の追加負担などを理由に難色を示し、混迷を深めている。

【次の記事】

そこが知りたい新幹線長崎ルート(2)フル規格

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