急逝した中原武弥監督の遺影とともに優勝を喜ぶ三田川少年の選手たち=佐賀市のみどりの森県営球場

 全日本学童軟式野球佐賀県大会の決勝に臨んだ三田川少年(吉野ヶ里町)には、どうしても勝ちたい理由があった。3週間前、大会期間中に心筋梗塞で監督の中原武弥さん(42)を亡くしていた。悲しみを乗り越えてつかんだ初優勝は、亡き指揮官へささぐ栄冠となった。

 「届け」-。一回表、先頭打者の松永大和主将(12)が放った打球は天に向かって高々と舞い上がり、右翼手の頭上を越えた。全力疾走で本塁に頭から滑り込み、ランニングホームランに。中原監督の遺影を掲げたベンチで「恩返し」を誓う選手たちにも気合が伝わり、チームの思いは強く、一つになった。

 4年前からチームを引っ張ってきた中原監督。元高校球児で自営業の傍ら、グラウンドに立った。練習中は子どもたち一人一人と真剣に、厳しく向き合った。練習の前後には何気ない会話からほほ笑みかける姿も。監督の代理を務めた松永真幸コーチ(36)は「野球に対して一切妥協しない、熱い人だった」と語る。

 中原さんは6月10日、中学3年の長男の野球を観戦中に倒れた。16強入りしていたチーム。唐突な別れに、子どもたちは悲しみと戸惑いの表情を浮かべた。「もう監督は帰ってこない。自分たちにできるのは1位になることだ」。松永コーチはハッパを掛けた。

 小柄な選手が多いため、機動力を重視する中原監督の方針をそのまま受け継ぎ、犠打の練習に多くの時間を割いた。神野少年との決勝。同点で迎えた最終回1死三塁、松永主将の頭には監督の言葉が浮かんだ。「バットの角度を決めて、しっかり集中しろ。1本も無駄にするな」。スクイズが決まり、決勝点を導いた。

 大一番を終え、球場の外で選手やコーチ、保護者が遺影を囲むように輪になった。「監督の野球が一番だと証明してくれてありがとう。もう一度、自信を持って戦おう」。松永コーチは涙を拭いながら選手たちと握手を交わした。チームは8月の全国大会も一丸となって挑む。

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