「秋の夜寒」の合言葉が記されている文書(

 合言葉と言えば有名なのが、おなじみ「忠臣蔵」で赤穂浪士が用いた「山」「川」です。

 150年前の戊辰戦争では、領主鍋島茂昌(しげはる)に率いられた約800人の武雄軍団が羽州(秋田・山形)方面に出撃、東北最強といわれた庄内藩(現在の山形県鶴岡)と激戦を展開しました。

 武雄の羽州戦争関係資料の中に面白い文書(もんじょ)があります。慶応4年(明治元年)8月24日の書付(かきつけ)に「今二十四日の合辞 秋の夜寒(よざむ)」とあり、この日の戦闘で使用する合言葉を知らせたものです。

 当初は、武雄の兵士の間だけで使用されたものと思っていましたが、調べてみると面白いことがわかりました。武雄の兵士とともに戦った秋田藩の記録にも、同日の合言葉として「秋の夜寒」があったのです。

 当時、秋田周辺には武雄軍団だけでなく、佐賀本藩、小城藩、蓮池藩の兵士ら3900人の佐賀兵、薩摩・大村・島原・平戸の兵士らも含め総勢6000人の応援部隊が集結していました。

 合言葉「秋の夜寒」は、庄内兵と戦う新政府軍(官軍)で共通に使用されていたのです。多数の藩が連合して戦う場、しかもさまざまな地方の言葉が飛び交い、敵・味方の判別がつきかねる場であれば、合言葉こそがきわめて有効な判別手段だったのです。

 情報伝達の正確さ、迅速さは判然としませんが、当日の戦闘のため、作戦本部で未明に決定された合言葉が早朝には全軍に布達されたであろうことに驚きを隠せません。

(武雄市図書館・歴史資料館 川副 義敦)

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 武雄市歴史資料館では、7月1日まで企画展「武雄の明治維新150周年 武雄軍団秋田を駆ける」を開催しています。

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