JR長崎本線そばの田畑の中に残る野添板碑群。地元の方々によって大切に管理されている=鳥栖市立石町

 亡くなった人を弔う形はさまざまですが、中世においては死者を供養するために板状に石を加工した板碑を建立することがありました。鳥栖市西部に位置する立石町には、花こう岩でできた古い板碑が5基残っており、野副板碑(のぞえいたび)群と呼ばれています。

 これらの板碑は建立当初からこの場所にあったのか、後に現在地へ移されてきたのかは不明ですが、大きなタブノキの下に置かれた板碑はそれぞれ西の方向を向いています。

 表面には仏教で用いる梵字や地蔵菩薩像などが彫られており、うち二つには「貞和二(1346)年十月」とあり南北朝時代に建てられたことが分かります。

 この時期、鳥栖地域も北朝方、南朝方それぞれの勢力が争う戦乱の時代でしたが、貞和という年号は北朝方で用いられていましたので、板碑で弔われているのは北朝方で活動した人物のようです。

 平成5(1993)年、鳥栖市内で年代の分かる最も古い板碑として、野副板碑群は鳥栖市重要文化財に指定されました。戦乱の世と葬送のあり方を現代へ伝えてくれる貴重な文化財です。 (地域リポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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