1932(昭和7)年に行われた、夢想賢心流最後の仕上げ式の様子(多久市郷土資料館提供)

 江戸時代、各地で「捕手(とりて)」という武術が広く行われていました。これは一種の捕縛(逮捕)術で、下級武士たちを中心に行われていました。数多くの流派がありましたが、多久で特に盛んだったのが「夢想賢心流(むそうけんしんりゅう)」です。

 夢想賢心流は1680年ごろ、開祖大山賢心が聖光寺(しょうこうじ)(多久市多久町)内の黒髪権現にこもり、身を清め、断食し、神仏に祈りながら三日三晩修行してあみだした流派です。居合(抜刀)、取手(捕縛)、兵法(剣術)、棒の4部門からなり、礼節を重んじ、逮捕術でありながら心身の鍛錬を求めるものでした。

 50年に一度仕上げ式と呼ばれる儀式が行われ、1週間にわたって合宿生活をし、肉食を禁じ、寒さの中、毎朝水行をして身を清め、皆で修行に励みました。祭壇に摩利支天(まりしてん)、不動明王、役小角(えんのおづぬ)を祀(まつ)り、しめ縄を張り幣を吊るし、道場の周囲にも榊(さかき)やしめ縄を配するなど荘厳なものでした。

 明治維新を経て社会が一変すると、武道はあまり行われなくなっていきます。そんな中でも捕手は細々と命脈を保っていましたが、夢想賢心流は1932(昭和7)年の仕上げ式を最後に絶えてしまいました。(志佐喜栄・多久市郷土資料館)

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