板間をコの字に囲む畳の間。一人に1畳が割り当てられ、上部には荷物を入れる天袋もあった=武雄市武雄町の如蘭塾

如蘭塾はフランク・ロイド・ライトの弟子・遠藤新が設計した。玄関の石柱はライト様式で、地元の三間坂石を使っている=武雄市武雄町

 木製の引き戸を開けると縦長の板間が広がる。その板間の三方を小上がりの畳の間が囲む。奥に4畳、左右に8~9畳。畳の間の上部には個人の荷物を納める天袋、布団を収納する押し入れもある。75年前、満州(現在の中国北東部)から来た女子学生が暮らした大部屋だ。畳1枚が1人分のスペース。異国の地で家族のように寝食を共にした姿が思い浮かぶ。

 如蘭塾(じょらんじゅく)は1943(昭和18)年、佐賀出身の実業家で日満育英会を設立した野中忠太(ちゅうた)が、満州から女子留学生を迎えるために建てた。設計は米国の建築家フランク・ロイド・ライトに師事し旧帝国ホテル建設に携わったことなどで知られる遠藤新(あらた)。寄宿舎棟、教室棟、迎賓館があり、99年に国登録文化財に指定された。

 冒頭の大部屋は、木造一部2階建て253平方メートルの寄宿舎棟の1階と2階にある。2015年夏から半年ほどかけて当時の姿に戻す工事が行われ、畳部屋を復元し、アルミサッシの窓も木枠に戻した。今も曇りなく姿を映す鏡が並ぶ洗面所や、かまどや床下収納、据え付けの食器棚がある台所などもあり、七十数年前の姿がほぼそのまま残る。

 如蘭塾では43年3月から2年半の間に、1期生29人と2期生22人が暮らした。終戦に伴い、学業半ばで帰国したが、83年に元塾生が武雄市長に当時の先生らを気遣う手紙を出したのがきっかけで交流が復活。85年には28人の元塾生が武雄を訪れ、武雄からも訪中団が企画された。野中の遺志を引き継ぐ清香(せいこう)奨学会は今も高校生の中国派遣事業や奨学金事業を手がけている。

 玄関には地元の三間坂(みまさか)石を使った一対の大きな石柱があり、迎賓館は欄干などに立派な細工が施されている。物資が乏しい戦時中、歓迎の思いを尽くして造られた如蘭塾。館内には少女たちの写真が並び、その子どもたちが再び寄宿したこともある。75年前に結ばれた糸は、今もつながっている。(佐賀新聞社)

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