社民党県連の新代表に選ばれ、あいさつする牛嶋博明さん=2008年3月、佐賀市の自治労会館

 白髪をオールバックに流し体重100キロ近い体格を前面に押し出し、議場で大きな声を響かせ、徹底的に追及した。一方で、人好きで与党とのパイプも太く、議会全体ににらみを利かせた。鳥栖市議時代も、佐賀県議になってからも2期目からトップ当選を続けた。

 鳥栖工高を卒業後、当時の国鉄入り。労働組合運動で頭角を現し社会党(当時)から市議に出馬、4期目半ばから県議に転じた。

 牛嶋さんの後継として社民党市議になった内川隆則さん(69)は「組合では堅実な感じだったが、議員に向いていたのか市議になったら水を得た魚のようだった」と振り返る。

 先に県議となり、自民党県連総務会長、政調会長などを歴任した牟田秀敏・前鳥栖市長(77)とは、「うっしゃん」「ムーちゃん」と呼び合う「竹馬の友」だった。

 牛嶋さんの県議選初出馬の際は、混乱を避けようと地元を流れる安良(やすろ)川を境にして川西側の同級生に牟田さんを、東側の同級生に牛嶋さんを応援してもらうよう話し合ったこともあるという。

 妻幸子さん(75)によると、自宅で仕事の話をすることはなかったが、自民党のベテラン県議からよく電話がかかってきてゴルフに出かけていたそうだ。「そんな付き合いもしながら、いろんな局面を収めていたのでしょうね」。

 「自民党に対抗しうるのはわが党。どんなに党勢が後退しようとも革新政党の矜持(きょうじ)を失わないように、と会合で話していた」。社民党県連幹事長の徳光清孝さん(60)は、代表として先頭に立って引っ張る大きな背中が忘れられない。

 原発、新幹線、オスプレイ、有明海再生など県政課題が山積する今、「牛嶋さんなら与野党、執行部に何と言って喝を入れるだろう」。徳光さんは早すぎる別れを惜しんだ。

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