足場が組まれ、総修復と塗り替えが進む7番曳山「飛龍」=唐津市北城内の修理庫「曳山の蔵」

これまでの修復で塗り重ねられた漆の層を剥がしたことで、製作当時の模様の跡が残っていた。「創建時の姿に戻したい」と話す新町の龍溪顕智正取締

亀裂が入ったり、調査で削った部分などに名尾和紙を貼り付ける

傷みが激しい部分から剥ぎ取った和紙。曳山は和紙を貼り重ねて作られており、護摩札や台帳など製作当時とみられるさまざまな用途の紙が使われていたのが分かる

 唐津くんちの7番曳山(やま)「飛龍」(新町)の総修復・塗り替えが、佐賀県唐津市北城内の修理庫「曳山の蔵」(西ノ門館)で進んでいる。1846(弘化3)年の製作以降、6度目となる作業は当初の姿に戻すことを主眼に置いている。

 31年ぶりの修復で、総事業費は台車の新調も含めて約5千万円。国、県、市が補助し、新町も負担している。本体の現在の進捗(しんちょく)率は50%で、傷みが激しい部分を補修し、下地成形している。修理庫入りは昨年のくんち直後で、2月末まで調査に要した。部分的に過去の漆の塗膜を剥ぎ取り、さかのぼることで、172年前の全体像を把握した。

 現状との違いがいくつも見つかった。黒目が今より離れた位置で、サイズも小さかった。眉の根元などは「たたき塗り」とも呼ばれる手法でざらざらとした質感だった。翼、うろこ、尾びれの線の描き方、左右の口ひげの配色なども違った。近年の修理で使われていた化学樹脂は取り除く。

 こうした江戸期の姿を4度目(1958年)の修復の上に再現する。2年前の14番曳山「七宝丸」に引き続き、作業を担う小西美術工藝社(東京)の表(おもて)雄一郎さん(40)は「よそに似たものがなく、これを作ろうというアイデアがすごい」と製作者の発想力と技術力に思いを寄せる。

 町内で協議するとともに、行政や専門家も入った審議会で原点に戻す方針を決め、進めてきた。新町の龍溪顕智(たつたにあきとも)正取締(53)は「町内の総力を挙げて作った創建時の姿を見て、当時の思いをみんなで共有したい。曳山を生きるよりどころにしている人は多く、期待に応えたい」と意気込む。

 修復の様子はガラス越しに見学(月曜休館)でき、お披露目は10月中旬を予定している。

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