名尾和紙を使った修復作業を見守る谷口祐次郎さん(左奥)と龍溪顕智正取締(右奥)=唐津市北城内の修理庫「曳山の蔵」(撮影・米倉義房)

 唐津くんちの7番曳山(やま)「飛龍」(新町)の修復作業が31年ぶりに進められている。和紙を幾重にも貼り合わせて作られた本体は、歳月とともに傷みが目立っていた。佐賀市大和町名尾地区で約300年の伝統があり、佐賀県重要無形文化財の「名尾手漉(てすき)和紙」が修復を下支えしている。傷んだ箇所を貼り替えた上で漆を塗り、10月にお披露目される。

 飛龍は1846年に製作された。修復は1987年以来で、亀裂が生じて雨水がしみ込んだり、のりの接着力がなくなって紙が浮いたりした部分を直している。大量の和紙が必要になるため、県内では名尾だけに残る和紙工房に依頼した。新町の龍溪顕智(たつたに・あきとも)正取締(53)は「創建時の姿に戻したい。当時の唐津は和紙の一大産地だったが、もう生産されていない。最も近くで作られた和紙を使うことにした」と理由を語る。

 名尾和紙は、繊維が長い梶(かじ)の木を原料に用いるのが特徴で、6代目の谷口祐次郎さん(52)は「丈夫さには自信がある」と快諾した。作業効率を考え、厚さの異なる2種類を選び、計500枚(1枚98センチ×65センチ)を製作して納品した。

 修復は、唐津市北城内の修理庫「曳山の蔵」(西ノ門館)で行われている。2年前の14番曳山「七宝丸」と同様に小西美術工藝社(東京)の職人2人が手掛け、和紙をはがきや名刺の大きさに裁断し、本体の内側を中心に貼り重ねている。同社の表(おもて)雄一郎さん(40)は「指定されなければ、関東の和紙を使っていた。昔ながらの作り方であれば、それ以上にふさわしいものはない」と話す。

 谷口さんはモダンな照明インテリアをパリで発表したり、佐賀空港の国際線ビルの日よけ用の建具を創作したり、和紙の可能性を広げてきた。「今回は170年前の紙と名尾の紙が合わさり、後世に残っていく。新しいものを作った時とは全く違う喜びがある」と受け止めている。曳山の表面に漆が塗られ、和紙の造形物とは思えないきらびやかさを放つ日を心待ちにしている。

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