江戸時代の中国年号銘《成化年製》(左)と明治時代の窯元銘《蔵春亭三保造》(右)

 今年も有田の春の風物詩、陶器市の季節がやってきた。115回目。明治29(1896)年に始まった「陶磁器品評会」に訪れる来町者に向け、後に蔵ざらえの大売り出しを始めたことが端緒である。当初は「陶磁器品評会」の来場者があまりにも少なく、何とかして客を呼ぶ手だてはないかということだったらしい。福引に、購買品の駅までの運搬サービス、各種演芸・催し物から、スポーツ大会に至るまで、今日とほぼ変わらないアトラクションも用意されていた。ちなみに、この「陶磁器品評会」は、後に「九州山口陶磁展」と名称を変え、「有田国際陶磁展」として今日に引き継がれているが、大正末年ごろには、すでに陶器市の方が有名になっていたという。

 技術の漏洩(ろうえい)防止のため、江戸時代には、人・モノ・情報の流入・流出を極度に抑制した有田も、明治に藩の統制からは解放されたものの、逆にその保護を失い、それぞれが自立の道を模索する必要性に迫られた。有田異人館に象徴される世界に開かれた有田の演出、万国博覧会や内国勧業博覧会の出品作をはじめ上質磁器の追求など。しかし、窯業の構造を大きく変える原動力となったのが、今ではすっかりおなじみの高台内の窯元銘。幕末ごろに一部の窯元が始め、明治には一気に普及した。これにより、従来の肥前や有田という産地と消費者が結び付く関係に代わり、個々の窯元と消費者が直結する現在の姿が醸成されたのである。(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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