野中耕介さん

県立美術館の「岡田三郎助と女性画家たち展」で展示されているいわさきちひろの「母の日」

 佐賀県立博物館東側に移築された「岡田三郎助アトリエ」の一般公開が4月1日から始まった(入場無料)。その姿は瀟洒(しょう しゃ)な明治の洋風建築であり、室内に入るとまるで当時の空気をも感じることができるかのようだ。そして、アトリエの仕切り窓の向こうには、大正に増築された「女子洋画研究所」が見える。

 日本近代洋画の巨匠、岡田三郎助は美術教師としても活躍。複数の美術学校と私塾で長年にわたり幾多の生徒たちを教えた。彼はとりわけ女性に対する洋画教育に熱心に取り組んでおり(これは岡田のフランス留学時代の師・ラファエル・コランの影響と考えられる)、その思いの集積が「女子洋画研究所」の設立であった。

 アトリエ移設記念展「はじまりはここから―岡田三郎助と女性画家たち―」では、岡田の名作とともに、彼に洋画の教えを受けた女性画家を紹介している。有馬(ありま)三斗枝(さとえ)、甲斐仁代(かいひとよ)、森田元子(もりたもとこ)、深沢紅子(ふかざわこうこ)、三岸節子(みぎしせつこ)、岡田節子(おかだせつこ)、いわさきちひろの7人で、その後日本の美術界を代表する存在にまで成長を遂げた。

 明治~昭和初期において、女性が洋画を学ぶことには大きな困難が立ちはだかっていた。男性中心の家父長制のもと、女性は良妻賢母としての生き方を求められ、また洋画は「男性の仕事」で、「(女性は)気力の点では如何(いか)にも男には負ける」「女性は大家になれない」などの偏見にみちた意見がまかり通っていた頃であった。

 こうした社会状況の中、女性たちはそれぞれの事情と思いを抱えて岡田の門を叩(たた)いた。岡田はそうした彼女らの切実な胸の内を汲(く)み取り、例外なく温かく迎え入れている。

 16歳で岡田に師事、女性画家の地位向上に尽くした三岸節子(1905~99年)は、「先生は優しかった。私の父よりも温かく優しかった」と語る。日展で女性初の洋画審査員をつとめた森田元子(03~69年)もまた、「私の画家としての存在は、岡田(三郎助)画伯にお会いした時から始まった」と、当時を振り返って語っている。

 そして特筆すべきは、岡田に学んだ女性画家たちは皆、師とは異なった画風、個性を獲得し評価を得ていったことである。本展が佐賀県初の作品展示となるいわさきちひろ(18~74年)は、14歳で岡田に学び、童画作家として日本の絵本に画期をもたらすなど、洋画壇の枠を超えた活躍をはたし、その美しく優しさあふれる作品は現在も広く愛されている。

 岡田は教育者として、教え子を型にはめることなく、その才―個性を尊重すること―こそが、日本の美術のさらなる発展につながるという信念を持っていた。岡田はいわさきの活躍を見ることなく世を去ったが、岡田にとって、より多様な広がりを見せる現代の美術に大きな一歩をしるした教え子―いわさきの画業は、心から満足できるものであるに違いない。

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