葉隠墓苑(2017年6月27日撮影)

 昭和61(1986)年、秋田県秋田市新屋地区の丘陵地でのこと。当時、原野であった一帯の区画整備で、一画にある無縁仏となった墓石の移転が必要になりました。そのうちの3基は「佐賀藩兵卒兵蔵之墓」「佐賀官軍 平兵エ之墓」と「肥前武雄 馬渡栄助墓」で、いずれも慶応4(1868)年に始まる戊辰戦争の折、佐賀藩から出兵し戦没した兵士の墓でした。

 東北で唯一新政府軍に着き、周辺の旧幕府軍に包囲された秋田を救うため、はるか九州から出兵し戦って死んだ彼らの魂を慰めることはできないか。地元の人々により彼らの身元調査が始まり、武雄に馬渡栄助の子孫が判明しました。

 翌年1月、3基の墓石改葬のための発掘調査が氷点下7.8度という、いてつく寒さの中で行われ、遺骨のほか、刀などの副葬品が出土しました。彼らの犠牲により秋田城下が戦禍から免れたことに感謝を込め、遺骸の頭は遠く佐賀の方角に向けて葬られていたといいます。彼らが眠っていた同じ場所に、戊辰戦争から120年の昭和63(1988)年、2度目の戊辰の年に葉隠墓苑が造成され、武雄市長、佐賀市長らも出席して盛大な式典が挙行されました。

 平成5(1993)年、東北の祭りを代表する秋田の竿燈が、武雄市と佐賀市で演じられ、空前の人波で埋め尽くされました。百数十年の時を越えて、武雄の兵士らが取り持った佐賀と秋田の新たな交流の始まりでした。

 5月12日、「竿燈まつりin武雄」が開催されます。(武雄市図書館・歴史資料館 川副 義敦)

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