一口に「しんゆう」と言っても親友、新友、心友などいろんな表記ができる。相手にとって自分はどんな「友」だったろう。そんなことを考えさせられるひとときだった◆今月初旬、大型連休を利用して中学校の同窓会を開いた。想像を上回る約80人の参加があった。卒業以来45年ぶりに再会した人もいる。名札を見ないと誰だか分からない。それでもすぐに「あの頃」にタイムスリップできる。懐かしさだけではない。以前小欄に書いたように、同級生は同じ「空間」で同じ「時間」を共有した「仲間」という、三つの「間」を持つからだと感じる◆人生山あり谷あり「まさか」あり。順風満帆の人生など恐らくない。たくさんの出会いに支えられて今がある。表情や語り口からそれぞれの人生ドラマが想像できた◆本紙の地方面には連日のように同窓会の集合写真が載っている。そのコーナーを見ながら思う。同窓会の準備は大変だが、みんなの笑顔が何よりの報酬。それが幹事役に共通する思いではないかと。恩師から丁寧な礼状をいただき、励みにもなった◆私たちはコロナ下で「また今度」の実現が簡単ではないことを知った。考えてみれば世界の人口約80億人の中で同じ年に生まれ、同じ学校で出会うことは奇跡のような縁。何年たっても友は友。大切にしたいものの一つである。(義)
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