愛宕山頂上の勝軍地蔵堂

 鳥栖市柚比町の平原愛宕山は、弥生が丘の本川(ほんごう)川沿いにあり、火事などを起こさない「火伏せ」、あるいは「牛馬の神」として参拝されていました。それは山頂に馬に乗った「勝軍(しょうぐん)地蔵」が祭られているからです。

 京都の愛宕山には、火をつかさどる「火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)」が祭られ、京都の町の火伏の神として信仰されていました。その神護寺である白雲寺の本尊が「勝軍地蔵」でした。そして神仏混交により「勝軍地蔵」が火伏の神としても祭られるようになりました。

 柚比町の愛宕山は江戸時代の記録には、宝暦5(1755)年勧請の「勝軍地蔵」を祭る仏堂とされ、山の一部が田代上町の西清寺に藩主から下賜されていました。

 そのため祭典は西清寺の住職が務め、住職は神前でかしわ手を打ち、般若心経を唱える神仏混交を残した珍しい祭りが行われていました。(『鳥栖市誌・第5巻』を参考)(藤瀬禎博・鳥栖郷土研究会会長)