昭和初期の唐津湾、西の浜一帯の風景です。衣干山(きぬぼしやま)からの撮影でしょうか? 湾に突きでた岬のように見えるのは満島山(まんとうさん)(写真の右側)。唐津城天守閣は1966(昭和41)年に建てられ、まだ存在しませんが、唐津城址(じょうし)として舞鶴公園は1877(明治10)年に整備・公開されています。
東の浜(虹の松原)と西の浜に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、唐津城は別名「舞鶴城」と呼ばれています。西唐津まで続く西の浜の松原は、その後いったん消失してしまいますが、昭和の終わりから平成にかけて以前より海岸に近い場所に復元されています。
舞鶴公園の手前の砂浜には「唐津くんち」の御旅所があり、年に1度、11月3日にお神輿(みこし)が14台の曳山(やま)をお供に、海に里帰りをされます。
標高805.1メートルの浮岳(写真の左上)は、脊振山地の北西部に高く円すい形を描き、佐賀県と福岡県の県境に位置します。「筑紫富士」「松浦富士」とも呼ばれ、唐津湾の向こうに浮岳を望む地域には「富士見町」という地名もあります。(まちはミュージアムの会)