大手企業の県内支社長・支店長らでつくる「ブランチ佐賀さかえ会」(座長・中尾清一郎佐賀新聞社社長)の例会が21日、佐賀市のグランデはがくれで開かれた。元佐賀新聞社論説委員長で佐賀清和学園理事長の富吉賢太郎さんが戦後80年をテーマに講演し、戦後の出発点となった選挙を振り返った。
1946年4月に実施された戦後初の総選挙で、定数5の佐賀県選挙区には37人が立候補した。富吉さんは当時の佐賀新聞紙面を示しながら「これからの国づくりをやっていくという選挙。実に多数激戦だった」と解説。トップ当選し、義務教育の充実に尽力した大島多蔵氏について「ひょっとしたら教育県佐賀というのは、この選挙に大島さんがいたからではないか」と語った。
長年執筆した1面コラム「有明抄」に関するエピソードにも触れた。長崎原爆で被爆しながら救護に尽力した医師永井隆博士への敬意から、自身が栽培したナシを毎年贈り続けた伊万里市の男性らを紹介し、「書く中でいろんな人との出会いがあり、こんなすごい人がすぐそばにいるんだと知らされた」と話した。(円田浩二)