木を組んで家具や建具を作る「指(さし)物(もの)」という伝統工芸がある。直角に折れた「曲尺(かねじゃく)」が仕事に欠かせない。東京下町のベテラン指物師が正月のお年玉に、曲尺を弟子たちに配ったことがあった。すると警察から「法律違反」とおとがめがきたという。半世紀前の話である◆長さの単位は法律で「メートル」と決まっている。当時はしかし、「間(けん)」「尺」「寸」など古来の「尺貫法」がなじみ深く、定着が進まない。このため政府は曲尺や和裁に使う鯨(くじら)尺(しゃく)の製造・販売を禁じた◆職人たちが困っているのを知り、異を唱えたのが永六輔さん。紙幣も書籍もBサイズの紙も尺寸の大きさ。これほど暮らしに根づいているのに、と。反対運動のおかげで尺貫法はメートルと共存できるようになった。永さんが残したのは名曲「上を向いて歩こう」だけではない◆世界の尺度を統一しようと、メートル条約が成立してきょうで150年。地球ひと回りの4千万分の1が1メートルという定義はたしかに国際的である。ただ、ものさし一つにも独自の文化が息づいている。いまそのことに目を向ける人がどれだけいるだろう◆世の中はなお「はかれないもの」に満ちている。「心変わりの速さ」「過去を水に流すのに必要な水量」「真実を見抜く視力」…。そんな「見えないもの」に当てるものさしがほしい、と思うことがある。(桑)

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