棚田ツアーの参加者に「大浦の棚田」を説明する岩本英樹さん(右)=唐津市肥前町

夕日の美しさで有名な「浜野浦の棚田」を眺める参加者=玄海町

大正時代に整備された「値賀川内の棚田」。大浦や浜野浦に比べて直線的に造られている=玄海町

名護屋城跡で石垣を見るツアーの参加者=唐津市鎮西町

 唐津市と玄海町にまたがる上場台地の三つの棚田をバスで回る「棚田ツアー」が、11日に開かれた。水が張った棚田を早苗が彩る初夏の風景を眺めながら、参加者は地域の歴史や暮らし、先人の技術を学んだ。全国的に珍しい棚田ツアーに同行した。(宮﨑勝)

 「棚田ツアー佐賀の会」が企画し、会長の岩本英樹さん(69)=唐津市相知町=がガイドを務めた。岩本さんは棚田学会会員で、相知町職員の頃に地元の「蕨野(わらびの)の棚田」に業務で関わり、以来、棚田振興をライフワークにしている。ツアーは3年目で今回が5回目。「棚田の価値を共有してもらいたい」との思いがある。

 

 ◆見える地域の団結力

 最初にバスの中で、岩本さんは22人の参加者に「蕨野の棚田」と当日の行程にある三つの棚田の石積みを写真で解説。「蕨野は自然石をほぼそのまま使っている。上場台地は標高が低くて玄武岩の層が薄く、少ない石を有効活用するために割った石を使っている」と説明した。

 唐津市肥前町の「大浦の棚田」では「水はほとんど湧水で賄えると聞いている」「狭い2枚の田んぼを1枚にする『せまち倒し』をしている」と語った。夕日が海と棚田を赤く染める絶景で知られる玄海町の「浜野浦の棚田」では、「田んぼを造成する時に水平を保つため、海の水平線を利用したという面白い話がある」と紹介した。

 観光地ではない玄海町の「値賀川内の棚田」も訪ねた。1912(大正元)年から6年をかけ、佐賀県職員の設計図を基に造成した棚田で、他にない直線的な田で1枚も広い。「牛の時代でも、国は耕地整備をして米作りの効率化を進めた。ここは牛も働きやすかったと思う」とし、「記念碑には集落全員の同意で進めたとあり、地域に団結力があった」と推し量った。

 

 ◆名護屋城の石垣も

 石積みに割石を使用できた背景に石工の技がある。「石工の里」の碑がある値賀川内の白山神社にも立ち寄った。名護屋城築城時、鍋島家が徳永九郎左衛門(現在の小城市牛津町砥川出身)に石垣普請の指揮を執らせた。その後、値賀川内に住み、石工の始祖となり、地域に受け継がれた石工の技が棚田造成に生かされたという。近くの名護屋城跡の石垣も見て歩き、石を割る時に付く「矢穴」も確認した。

 ゆめさが大学唐津校の仲間と参加した唐津市浜玉町の森田房子さん(79)は「昔の人の技術力の高さに感心した。深く棚田を知ることができた」と満足げ。嬉野市の白濱幸広さん(67)は「この時季の棚田の風景は好きだし、心が安らぐ。また来たくなった」としつつ、「中には無理して稲作をしている人もいるんだろう」と耕作農家を思いやった。

 次回は6月7、8日。田植え時期が今回の棚田とは異なる「蕨野の棚田」や有田町の「国見山の棚田」などを巡る。8日分は参加者を募集中。1人7千円。申し込みは旅ステーション中央旅行社、電話0955(77)3511。