唐津市桜馬場の山口昇さん(72)宅から、福島県棚倉(たなぐら)町にある宇迦(うが)神社の縁起を記した古文書が見つかり、1日に同町に寄付された。山口さんの先祖は、最後に唐津藩を治めた小笠原氏と一緒に江戸時代に棚倉から移り住んでいる。同町の担当者は「神社の歴史が分かる貴重なもの」と“里帰り”を歓迎している。
棚倉は唐津藩のように譜代大名が交代で藩主を務めた。小笠原氏は1746(延享3)年から1817(文化14)年まで棚倉藩主で、その後に唐津に転封した。古文書は「宇賀大神王縁起」と表題にある巻物1巻で、大半は地元に伝わる神社の起源などが書かれ、ここまでは写しと考えられる。巻物の最後に小笠原氏が治めていた18世紀に書かれた部分がある。
巻物の調査を依頼された県立博物館・美術館の竹下正博副館長(58)によると、「神前の傍に古の神木の松あり」と記された一節に小笠原氏より前の歴代藩主が登場する。「歴代藩主がかわいがっていたので、藩主の国替え時に松が悲しんで半分枯れる。内藤家、太田家、松平家でも同じようなことがあった」という内容で、「小笠原家もうち(神社)をよろしく」との意味が込められているという。
山口さんの先祖は小笠原氏の転封時に唐津に来たという。約10年前、座敷の袋戸棚を整理し、木箱に入った巻物を見つけた。判読が進み、今年3月に棚倉町に照会していた。
昇さんの妻ひで子さん(72)は「福島からご先祖さんが来ていたことが本当の話かどうか分からなかったけど、これでよく分かった。棚倉にとって貴重なものと知れてうれしい」と語る。
江戸期の唐津と同様、棚倉町も藩主の国替えで関係書類が残されず、藩の記録は少ないという。同町教育委員会生涯学習課の塚野聡史さん(32)は「最後の阿部家の史料は多少残っているが、小笠原家のものはほぼ残っていない。今回のようなケースは珍しい」と話している。(宮﨑勝)