名護屋城・城下町ジオラマ(中央)の周辺の床。ジオラマにつながる形で地形や陣跡の位置が分かる=唐津市鎮西町の名護屋城博物館

天守周辺から出土した金箔瓦

 唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館が常設展示室を一部リニューアルした。リニューアルは1993年の開館以来初めてで、特別史跡「名護屋城跡並(ならびに)陣跡」コーナーの面積を倍増し、開館以降の発掘調査の成果を伝えている。

 これまでの常設展示室は、古い時代から朝鮮半島との交流史(文禄・慶長の役を含む)をたどり、最後に名護屋城跡・陣跡に行き着く展示構成になっていた。今回は交流史を少し圧縮し、最初に城跡・陣跡を見てもらうようにした。

 入り口から3分の1ほどの床面には陣跡マップが広がる。開館以来好評の名護屋城・城下町のジオラマにつながる形で周辺地図を描いた。ここで同館職員が団体客に概要を説明することが多く、竹下正博副館長(58)は「『博多や唐津でなく、なぜ名護屋なのか』の質問が多い。リアス式海岸で入り江が深いことなどもこれで説明しやすくなった」と話す。

 新設の大型スクリーンには、天守閣や陣跡の復元CGや名護屋で栄えた桃山文化の魅力を伝える紹介映像を投影する。城跡・陣跡のコーナーは、開館後に本格的な調査が始まった城跡の発掘成果の解説や天守周辺から出土した金箔(きんぱく)瓦などを展示している。

 縮小した「名護屋城以前」の交流史にも新規の展示資料がある。唐津市の離島・加唐島で生まれた古代朝鮮・百済の第25代武寧王に今回初めて言及。子の聖明王が日本に仏教を伝えたとされ、当時のものとされる誕生仏立像(県重要文化財、伊万里市・妙顕寺所蔵)を展示している。

 リニューアルには約7千万円をかけた。名護屋城大茶会が開かれた22日、歴史学者の千田嘉博氏と磯田道史氏、平山優氏も参加してセレモニーがあった。(宮﨑勝)