約40人が参列した市丸利之助の慰霊祭=唐津市の唐津神社

 太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)で日米両軍の死闘が終わって26日で80年が経過した。海軍司令として島に赴き、米大統領に宛てた手紙をしたためて戦死した唐津市柏崎出身の市丸利之助海軍少将(死後に中将)の顕彰祭「柏邨(はくそん)忌」が23日、唐津神社などで開かれ、平和を願った市丸を語り継ぐことを関係者らが誓った。

 市丸が残した「ルーズベルトニ与フル書」には、日本は追い詰められて戦争を始めたこと、強国の覇権主義が続けば世界平和は訪れないことなどが、日英両文でつづられている。歌人でもある市丸の号が「柏邨」で、柏邨忌実行委員会(事務局・日本会議佐賀唐津支部)が主催している。今回で8回目。

 唐津神社の神事には約40人が参列した。県外から訪れた人もいて、硫黄島で遺骨収集をしている硫黄島協会愛知県支部長の望月亨一さん(69)は「米軍が5日で奪い取ると考えていたところを36日間守り抜いた。どんな思いで戦い抜いたか、忘れてはならない」と訴える。念願だった市丸の墓参りもできたという。

 硫黄島ではいまだに1万柱の遺骨が眠っている。孫の市丸誠さん(67)=唐津市西浜町=は「祖父に限らず、大変な苦労をして命を落とした方々がいる。その犠牲が礎となって、今の私たちがいることをかみしめるいい機会をつくってもらっている」と話す。

 神事後は、式典と元航空幕僚長の田母神俊雄氏の講演があり、約150人が参加した。(宮﨑勝)