唐津市鎮西町で22日にあった「第4回名護屋城大茶会」で、同城跡本丸の特設舞台に人気歴史学者3人が登壇した。メインイベントのトークショーで、3人からは「新しい『肥前名護屋文化』が花開いた」「ここから日本の近世が始まった」と名護屋城の価値を再認識する言葉がたくさん飛び出した。
城郭考古学者の千田嘉博氏は「全国の武将がここに集まって、当時最高の文化芸術を媒介にして交流した。ここから新しい桃山の文化、いや『肥前名護屋文化』が花開いた」と口火を切った。すると歴史学者の磯田道史氏が「天皇がいなくても鎌倉時代というように、首都機能があったことでその時代名にするならば、僕は秀吉政権を『京・大坂・肥前名護屋時代』と呼びたい」と呼応した。
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さらに磯田氏は「48万人の動員を想定し、14万人を渡海させるめちゃめちゃな計画。ものすごく権力が集中し、整った官僚制ができた。近世の始まりはここ。この『肥前名護屋システム』でその後の日本は約300年近くやってきた」とも語った。
佐賀新聞文化面で名護屋城を題材に連載している歴史学者の平山優氏は「これだけの年月がたっているにもかかわらず、陣屋の跡も非常によく残っている。豊臣時代がぎゅっと詰まって封印されたタイムカプセルみたいな所。もっと知ってもらいたいし、もっと見に来てもらいたい」と評した。
終盤に磯田氏が「僕らは約束したい。生きている限りここに協力したい」と述べると、会場から拍手が起こった。
山口祥義知事も登壇し、中尾清一郎佐賀新聞社社長がコーディネーターを務めた。(宮﨑勝)